小松内府,平重盛は平氏一門の中でも好意的な描写をされる人物である。父清盛に先立って亡くなることなかりせば,平氏の運命やいかに…などと思わせる。
福山市の鞆の浦の寺町に小松寺がある。臨済宗妙心寺派の寺院である。ここに「平重盛卿の墓」と伝えられる五輪塔がある。
寺伝によると,安元元年(1175年)に重盛が厳島参詣の途中に立ち寄り,護身の阿弥陀仏を安置して一宇を建立した。そして寿永二年(1183年)に二男資盛の命により,平貞能が都から重盛卿の遺髪を持参し五輪塔を建てたということだ。
「小松寺」というのは,愛知県小牧市,知立市,茨城県城里町にもあって,いずれも重盛との関係を伝えている。『重盛』『清経』などの謡曲の広まりが伝説形成の一助となっているのかもしれない。
鞆の浦の小松寺は,武将との関係では,むしろ足利氏のほうが重要である。「足利は小松に興り小松に亡ぶ」と言われるように,京都に攻め上る尊氏に光厳上皇の院宣がもたらされた場所であり,京都を追われた義昭が滞在した場所であった。