「日本一低い山」は,何をもって低いとするのかと思ったら,国土地理院の地形図に掲載されているかどうからしい。地形図を作製する担当職員にとっては重責だ。
敷石と同化しているように見えるのは,大阪市港区築港3丁目にある「天保山」の二等三角点である。
ここが標高4.53メートルで,天保山の山頂である。天保山公園内には山頂より高い場所があるのだが,明治44年に設置されたこの三角点のほうが由緒の正しさで勝っている。
山頂近くに「明治天皇觀艦之所」という碑が立つ。「明治元年三月明治天皇大阪ニ行幸アラセラレ天保山ニ上リテ親シク軍艦ノ操練ヲ閲シ給フ本邦海軍興隆ノ運實ニ是ニ開ク」と,この地の意義を説明している。碑の建立は昭和4年。軍事大国であった当時の日本が,自らの原点を求めたのだ。
「明治」への改元は9月8日。ということは観艦式のあった3月は慶応4年である。ところが改元の詔書に「改慶應四年爲明治元年」とあり,1月1日から明治元年は始まったとされた。したがって「明治元年三月」との表記は正確なのだ。
当時は大久保利通が「大坂遷都」を主張して議論が巻き起こっていた。戊辰戦争の最中でもあり,大久保は,親征というデモンストレーションを大坂で行うことで反対派と妥協したようだ。
若き天皇が登った天保山。ここは「海軍興隆」の原点であると同時に,幻の大坂遷都の史跡でもあった。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。