『放送名作童話』とは,NHKや民放のラジオから,全国に向けて放送された童話のうち,好評を得た作品を選んで学年別に本に編集したものである。手元の『NHK・民間放送局 放送名作童話 6年生』は,金の星社から昭和34年に発行されている。
中でも,三越左千夫の「信田のきつね」は,ずいぶんと繰り返し読んだものだ。以来,「信田の森」には,くずの葉が消えていった悲しくも懐かしい深々とした森のイメージを持っていた。どこにあるのか詮索することもなかったが,このたび調べてみると散策にもよいコースだったので,カメラを手に訪れた。
和泉市葛の葉町に「信太森葛葉稲荷神社」がある。
ここが葛の葉物語に登場する,安倍保名が家名再興を祈ったお社だ。物語は今から千余年前の朱雀天皇の御代のことである。境内には,白狐が葛の葉姫に化現した時に鏡に変えて姿を映したという「姿見の井戸」や由来の説明がない「白狐化身の木」がある。また,本殿奥に「白狐石」やら「御霊石」という白狐が化身したという石があるということだ。
それよりも,ひときわ存在感のあるのが御神樹とされる市指定天然記念物「葛の葉稲荷のクス」である。幹周りは11mで根元近くで二つに分かれている。これは既存の幹を何らかの事情で失った後,新たに二本の芽が出て成長したものだという。新たな芽が出て以来の樹齢は七百年前後とされる。千年前の花山上皇が「信太森千枝の樟」の称を授けたというが,最初の幹はその頃からあったのかもしれない。
和泉なる 信太森の 樟樹は 千枝に分かれて ものこそ思へ(古今和歌六帖・第二・山・森)
森は信太の森(枕草子・193段)
地元の方が著した『信太聞耳散歩』によると,平安時代に葛葉稲荷は存在せず,伝説の舞台に相応しいのは信太山丘陵に古くから鎮座する別の神社であるという。
和泉市王子町に「聖神社」があり,古来より式内社あるいは和泉国三ノ宮として信仰を集めてきた。
この辺りの森は団地造成で開けてしまったが,かつては森々とした雰囲気があったに違いない。
神社の近くには市史跡である「信太の森の鏡池」がある。
安倍保名が妻の全快と子を授かるようにと信太大明神(聖神社)に祈願した際,池の水面に白狐の姿が映ったので,不思議に思って振り返ってみると一匹のネズミが走って来た。そのネズミを保名は袖に隠し,猟師から守り逃がしてやった。そこから件の物語が始まるのだが,子別れの場面の舞台としても,鏡池は登場する。
そうすると,葛の葉物語の舞台はどちらなのか,という話になりそうだが,『信太聞耳散歩』によると真相はこうだ。葛の葉物語は内容こそ平安時代だが,その創作は江戸期らしい。浄瑠璃で「信太妻」「蘆屋道満大内鑑」で多くの人に知られるようになる。その頃から葛葉稲荷への信仰もさかんになっていく。信太の森は古くから有名であったが,伝説は稲荷信仰とともに成長したものであろう。ただ,よく分からないのが,安倍清明と狐を結びつけるという考えである。英雄にはよくありがちな異常出生譚である。これは室町期の匂いがするのだが,どうだろうか。
ところで,葛葉稲荷では,おみやげに“くず餅”を売っている。吉野の八十吉のもので,とてもおいしい。これは,伝説と芸能と信仰と商売とが上手く融合したエンターテイメントである。