松本徹の『小栗往還記』は旅に誘う名著である。中世と現世を行きつ戻りつしながら物語が進んでいく。小栗判官の生きんとする力,照手姫の直向きな愛,そして,運命の出会い。架空の世界とはいえ,現実にもそうであったろうかと思わせる語り口。
道端の祠の礎石に,「小栗街道」と刻まれてゐるのが目にとまつた。説経から浄瑠璃に,さらには歌舞伎へと取り込まれ,広く親しまれるまま,かう呼ばれて来てゐるのだ。
ここまで来ると,熊野を目指す人たちの流れが幾つとなく合はさつて大きくなり,餓鬼阿弥の土車を曳く人々は入れ替はり立ち替はりした。身分ありげな男女もゐれば,逃散した百姓,婚家を抜け出した女,遊行僧や勧進柄杓を手にした熊野比丘尼,笈を背負つた修験者,また御師に引き連れられた巡礼たちもゐた。
和泉市府中町に「小栗街道」と刻まれた石碑がある。
傍の表示板には「熊野街道」とある。熊野街道が一般的な名称だが,この辺りでは説教節の小栗判官への親しみから小栗街道と呼ばれているようだ。
和泉市幸に「小栗判官笠掛松と照手姫腰掛石」がある。
照手姫が引く土車に乗った小栗が一休みした場所と伝えられている。近年になって復元されたものらしい。
えいさらえい 一引き引いたは 千僧供養 二引き引いたは 万僧供養
変わり果てた姿となって餓鬼阿弥と呼ばれる我が夫・小栗を,それとも知らずに直向きな気持ちで引く照手。説教節では,照手姫は美濃から近江の大津にあった関寺まで引き,熊野の湯への道行きには照手姫は登場しない。しかし,この地では熊野街道さえも二人の通った道とされている。そうあってほしいと願う気持ちが伝説を成長させたのだろう。