古代の文明開化は朝鮮半島よりもたらされた。中でも“漢字”と“儒教”は日本文化形成の根幹を成す重要な素材である。それを伝えたとされるのが王仁(わに)である。
枚方市藤阪東町2丁目に大阪府指定史跡の「伝王仁墓」があり,石碑には「博士王仁之墓」と刻まれている。
「伝」とあることからも確実に博士の墓だという証拠はないし,博士自身が実在かどうかも分からない。『枚方風土記』には次のような記述がある。
江戸時代に,日本での儒学の祖としての王仁への関心が高まり,儒者の並川永(五市郎)は,『五畿内志』編纂のためここを訪れた。地元では歯痛などに霊験があると信じられて「オニ塚」と呼ばれていた自然石を王仁の墓と考え,当地の領主久貝氏に進言した。こうして,享保十六年(1731)に,「博士王仁之墓」の石碑がたてられたという。
1999年9月5日に韓国の金鐘泌(キム・ジョンピル)総理が博士の墓に参拝している。キム氏は金大中,金泳三と並んで三金時代を築いた大物政治家である。もはや,この地は歯痛に効くなどという土俗的なものではなく,日韓両国公認の国際的な史跡であり友好を確かめる場所となっている。
不確かなことであっても多くの人がそう思ってしまえば,それは歴史的事実となる。史実を追究することが大切なのか,友好的な国際関係のよすがとなればよしとするのか,史跡の意義を考えさせられる。
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