継体天皇は天皇家の実質的な初代王という見方がある。皇統断絶の危機に伴い越前から畿内に入ってきた,あるいは応神天皇5世の孫であるという記紀の記述から,実際には王朝交代があったのではという考えである。いずれにしても古代における歴代大王の画期をなす人物である。
枚方市楠葉丘2丁目の交野天神社に大阪府史跡の「継体天皇樟葉宮跡伝承地」がある。
神社の由緒書きを読んでみよう。
『日本書紀』は,越前三国にいた男大迹王(おおどのおう)が樟葉で西暦507年即位して継体天皇となり,5年にわたり宮を営んだと記している。樟葉宮跡の位置は不明だが,交野天神社の社に囲まれた末社貴船神社の鎮座する小丘付近が仮の推定地とされ,小丘の麓に「此附近継體天皇楠葉宮址」の石碑が立っている。昭和46年に大阪府の史跡に指定される。
関白左大臣 一条実経(いちじょうさねつね・1223~84)は,次の歌を詠んでいる。(『続古今和歌集(しょくこきんわかしゅう)』)
くもらしな 真澄の鏡 かけそふる 樟葉の宮の 春の夜の月
1500年前には,この場所が都だった。周囲はすっかり住宅地になっているが,社叢の中にいると時が止まっているように感じる。継体天皇が初代王なら,ここは日本発祥の地なのかもしれない。
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