いくらおいしい水が湧く井戸でも,それだけでは史跡とはならない。貴人と結びつき記録に残って史跡となる。今回は新年を祝い,天皇即位を寿いだ目出度い井戸を紹介しよう。
総社市上林に「松井」がある。
それで?という感じだが,この井戸は『新古今和歌集』に詠まれた名井なのである。
權中納言資實
大嘗會主基屏風に六月松井
常磐(ときわ)なる松井の水をむすぶ手の雫ごとにぞ千代は見えける
(新古今和歌集巻第七賀歌756)
作者は正二位権中納言大宰権帥となった藤原資実(ふじわらのすけざね)で,日野富子を輩出した日野家の先祖である。時は建久9年(1198),後鳥羽天皇が院政を開始するため土御門天皇に譲位した。天皇の即位に伴い,秋に大嘗祭が執り行われた。これを寿ぎ資実は詠んだ。いつも変わらぬ緑の松,その松井の水を手で掬うと,したたる雫は帝の長く栄える御代のようです,と。
大嘗祭では祭りに供える稲を出す斎田を東日本(悠紀)と西日本(主基)から選定する。この年,主基(すき)となったのが備中である。備中の松井は,その頃から都に知られた名井だったのだ。
室町時代の連歌師・宗祇の弟子である宗碩が,連歌を詠む者のために古文献から語句を書き集めた『藻塩草』という歌語辞書がある。その五「水辺」の「井」の項目に「松井 びつ中,或云丹波 とをはなる松井の水をむすぶてふしづくごとにぞ千世はみえける」とある。ここは備中と考えて間違いないだろう。
名井,そして賀歌にあやかり,今年の弥栄を祈念したい。
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