安芸宮島の厳島神社の美しさは鳥居にある。青い海に浮かぶ朱塗りの高さ16mの両部鳥居,竜宮とはかくあるものかと思わせる幻想的な光景である。平清盛の崇敬篤く,現在のような社殿が建立された。海賊征伐,そして交易と,海を得意とする平氏に相応しい神社だ。
玉野市八浜町大崎に「大崎八幡宮」がある。この地区の氏神様である。
鳥居といい社殿といい,よく見かけるお姿だが,ここは厳島神社のモデルとなった重要な神社だという。神社の石碑には次のように刻まれている。
この宮は昔海中の孤島で陸との間に潮流がはげしく渦を巻くので渦の宮と言われていた。大治二年(一一二七年)平忠盛が備前の国司となり,この地に海の守護神市杵島姫命を祭祀して島の西岸に石の鳥居を,更に西方一〇〇米の海中に推定高さ二〇米巾六米の桧の両部大鳥居を建て,偉容を示したものの様である。このことは昭和三十二年児島湾干拓工事中海底から大鳥居の脚部が掘り出されて居ることで立証せられる。
平忠盛の子清盛は父の建立した渦の宮に模し安芸の宮島に厳島神社を奉祀したものであろう。その後間もなく平家は壇の浦に亡び源氏の佐々木一族が児島を支配すると,渦の宮,弁才天と共に源氏の氏神鶴ヶ岡八幡宮を勧請合祀して大崎八幡宮とたたえ祭ることとなった。
こヽに此の概要を刻み歴史をのぶと共に後世に傳える。
玉野市教育委員会撰
昭和四十八癸丑年十月十五日
児島の北航路があった時代,高さ20mの鳥居が海に浮かんでいたという。今ではすっかり陸地となって想像すらできない光景である。
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