明治時代の息吹を感じたければ洋館を訪うがよい。そこには,西洋列強と互角に渡り合おうと背伸びをする元気な日本がある。形は洋にしてその材は和,名も和でありながら調度は洋,和洋混淆の不思議な空間がある。古き良き時代を偲ぶのに相応しい場所である。
大阪市北区天満橋1丁目に国の重要文化財「泉布観(せんぷかん)」がある。明治4年2月に落成した日本の近代建築史初期に属する建造物である。昭和31年に洋風建築としては初めて重要文化財に指定された。現在でも道を挟んで造幣局があるが,もとは造幣寮の応接所として建てられた。毎年,春分の日前後で公開されている。写真は3月21日(日)の撮影である。
「泉布観」の命名は明治天皇で,「泉布」は貨幣,「観」は館の意である。天皇は明治5年の西国巡幸で,6月4日に京都から大阪での行在所・造幣寮に入られ,7日に海路下関に向かわれている。その際にこの建物を御利用なさったのだろう。
設計者は英国アイルランド出身のトーマス・ジェームズ・ウォートルスである。関東大震災前の銀座煉瓦街を設計したのも彼であった。泉布観は建物の周りにヴェランダを巡らせた「ヴェランダ・コロニアル」という様式で,これは日除けや通風に配慮したアジアにおける洋風建築様式である。
明治26~28年には第四師団長である北白川宮能久親王(明治28年に日清戦争で戦病死)の住居の一部となった。また大正天皇即位記念事業として大阪市北区実科女学校が置かれ校舎として利用していた時代もあった。この学校は現在の大阪市立桜宮高等学校の前身である。
北隣に「旧桜宮公会堂」がある。これは造幣寮鋳造所の正面玄関を移築したものであり,重要文化財となっている。大阪市では泉布観の再生・活用を推進しているが,この旧公会堂をレストランとしたいようだ。食事と歴史,心身ともに満たされてみたいものである。
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