最初の製鉄所なら八幡製鉄所だと歴史の時間に教わった。新日本製鐵の八幡製鐵所のHPには「工場は1898年(明治31)に本格的な建設に入り、1901年(明治34)2月5日、東田第一高炉に歴史的な火入れが行われ、日本で初めて近代製鉄が誕生しました」との記述がある。
しかし,そうでもないらしい。歴史とは面白いもので,何をもって初とするのかで解釈が異なるため,異説が存在する。したがって,歴史の真実は一つに思えて,そうでもないのだ。
大阪市此花区伝法3丁目の大阪市立伝法小学校の構内に「日本鋳鋼所跡」がある。
ウォーキングコースの資料「大阪あそ歩」伝法編は,「明治32年(1899)に鴻池組によって建設された我が国初の本格的な製鉄所で,翌年4月に初湯されました」と紹介している。大阪市のHPイベント・観光の「歴史の散歩道」中之島・鶴見コースは,次のように詳しく解説している。
日本鋳鋼所は、我が国最初の本格的な平炉をもつ製鋼所である。江戸時代末には、各地で反射炉を用いて製鉄が行われていたが、明治に入って兵器用に輸入炉で製造していた。民間にその施設が払い下げられて、再活用されていた。
日清戦争後、重工業発展政策がとられたことをうけて、明治34年には八幡製鉄所が創建された。大阪では明治32年、ここで日本鋳鋼所が創建、3.5トンのシーメンス式平炉およびドーソン式ガス発生炉を設置し、翌年には八幡に先んじて初湯を出した。その後、工場を拡張するなどしたが、需要が整わず製品も一定せず、経営困難に陥った。住友家ではこの施設一切を譲り受け、住友鋳鋼所を設立し明治40年島屋工場へ移転するまでここにあった。
八幡製鉄所より1年早いのか…,そんなことで驚いてはいけない。2008年に社団法人日本鉄鋼連盟が「近代製鉄発祥150周年記念事業」を展開していたのだ。その折のニュースリリースから引用しよう。
今からちょうど150年前の1858年、“日本近代製鉄の父”といわれる南部藩士大島高任が、同藩領内の大橋(現在の岩手県釜石市)にて、我が国で初めて近代的な洋式高炉による鉄の製造に成功しました。 それまでの我が国の製鉄が「たたら」吹きと呼ばれる古来の方法により、砂鉄と木炭を原料に和鉄の生産を行っていたことを考えると、鉄鉱石を鉄源とし、生産プロセスが連続化された洋式高炉の出現は、我が国の近代製鉄の幕開けを告げる画期的な出来事でした。
なるほど,浅学にして違いがよく分からないが,上には上がいるものだと分かった。これだから歴史探訪はやめられない。
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