人は光りモノが好きだ。古代人にとっても金属の輝きは格別だったろう。丸くて輝く銅鏡は太陽と同一視され,呪術的な力があると信じられていた。そんな銅鏡を大量に所有するのは,権力・権威の大きいからだろう。産経新聞の論説副委員長・渡部裕明氏は次のように解説(平成22年1月9日)する。
≪鏡の数が一挙に倍に≫
「ものすごい数の鏡の破片が見つかっているようですよ」
昨年5月、大阪本社勤務の同僚から驚くべき情報がもたらされた。奈良県立橿原考古学研究所が桜井市にある桜井茶臼山古墳を60年ぶりに再発掘したところ、盗掘の網からもれた銅鏡の破片が多数、発見されたというのだ。
日本の考古学調査で最も華やかな対象といえば古墳であり、中でも主役が副葬品の銅鏡だとは、だれもが認めるところだろう。
筆者にしても平成10年、34面の鏡が未盗掘のまま発見された黒塚古墳(奈良県天理市)を取材したときの光景は、いまも忘れられない。直径20センチを超える大型の三角縁神獣鏡(しんじゅうきょう)がずらりと並ぶ壮観さは、初期ヤマト王権の権力の大きさを物語っていた。黒塚も同時期の前方後円墳だが、墳丘は約130メートル。全長約200メートルを誇り、大王クラスが眠る茶臼山だから、どれほどの鏡を持っているのだろうと、心がときめいた。
暮れも押し詰まり、80面を超えそうだとの話になった。日本で最も多く鏡を副葬した墓は、福岡県糸島市の平原(ひらばる)1号墓で40面。ただし平原は弥生時代の墓だから、古墳に限ると椿井(つばい)大塚山(京都府木津川市)の37面、佐味田(さみた)宝塚(奈良県河合町)36面、黒塚34面…となる。一挙に倍以上に増えたのだから、ただ驚くほかない。
備前市畠田に国指定史跡の「丸山古墳」がある。同名の古墳は各地にあるので「鶴山丸山古墳」と呼ばれている。標高61mの鶴山山頂にある4世紀後半の円墳である。すぐに登れそうだが意外に坂道は急だ。径68~55m,高さ8~9mの卵型をしている。墳丘は2段で構成されており,墳頂の平坦面は径28~34mで結構広々としている。
昭和11年に盗掘を契機として発見され,京都帝大の梅原末治博士による本格的な学術調査が行われた。その結果,中国製の三角縁神獣鏡1面,仿製(国産模造)30面の銅鏡が出土した。また,家形の石棺には太陽の文様がレリーフされていた。中国鏡は棺内に納められていたが,仿製の多くは石棺の外側面に一列に立てかけてあったということだ。石棺は地中に,銅鏡の多くは東京国立博物館が所有している。
31面という鏡の数は,引用したニュースにあった黒塚古墳にも引けを取らない。70年以上前にこの量なのだから,ただ驚くほかない。今なら大ニュースになっていたことだろう。
福島県文化財センター白河館の常設展解説シート№11「三角縁神獣鏡を復元する」で興味深い記事を見つけた。丸山古墳出土の三角縁神獣鏡は正確には「三角縁三神二獣鏡」であるが,この同氾鏡が会津若松市の会津大塚山古墳から出土している。なんと傷の位置まで同じだというのだ。
被葬者はこの地方の大豪族・大伯国造(おおくのくののみやつこ)がふさわしい。三角縁神獣鏡は大和政権から与えられたのか? 仮にそうだったとしても,前方後円墳でないのはなぜか? 分からないからこそ想像力が掻き立てられ,そこに人は古代史のロマンを感じるのだ。
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