神武東征がどのような史実を反映しているのか分からないが,海上交通における瀬戸内海の存在意義は理解できる。国を興そうとするカムヤマトイワレヒコは,安全な移動,そして入念な準備のため,瀬戸内海をゆっくりと上って行った。
福山市柳津町の貴船荒神社に「柳津御上陸之地」の石碑がある。
この史跡の解説を昭和14年発行の柳津村吉備高島顕彰会『高島宮史蹟』から引用しよう。神武天皇は東征途上,吉備国に立ち寄った。
吉備国に御徒入,御上陸せられた第一歩の御遺跡地は何処かと云ふ事は各種の書物及伝説によって柳津村御蔭山の麓,奥田川の下流に添ふた,現在荒神社のある地だといふ説を信ずる。そして御上陸の地として設けられた貴船の祠が,永年の中に荒神社と称せられたものである。此の祠の側に御神水として万古尽きぬ岩の井があり,今も御恵みの水として土民に喜ばれてゐる。
御着船当時は,此の辺には海辺に柳の木多数繁茂し,御船は悉く柳樹に繋がれた上上陸せられたと伝へられ,依って柳津と称し,今の村名の基となったといふ。
上の写真が「岩の井」で,地域の原点ともいえる場所だ。地図を大きく広げると,この地は「袋の海」と呼ばれる松永湾の奥に位置することが分かる。周囲を陸に囲まれているため波が静かで,船舶の停泊における好条件を具備している。
さて,この地に上陸したカムヤマトイワレヒコ。写真の右の道を北へ向かうのだが,いったい何があるのか。それは次回に紹介することとしよう。
本記事に関心を寄せていただきありがとうございます。
カムヤマトイワレヒコは初代の天皇、神武天皇の和風の呼び名です。
現代では天皇の名はすべて漢字二文字ですが、初めの頃の天皇には長い和風の名が付けられていました。
ただし、この記事は天皇に即位する前の内容なので、ヒコホホデミという本名が正確なのかもしれません。
投稿情報: 玉山 | 2020/12/14 19:47
カムヤマトイワレヒコってなんですか?詳しく知りたいです。
投稿情報: 伊織 | 2020/12/13 09:47