大沢たかお主演『桜田門外ノ変』を見に行った。スケールの大きな、よくできた映画だと思う。井伊大老襲撃のシーンは圧巻であり、こちらも身構えてしまうほどだ。今日はその関連史跡をレポートする。
港区愛宕一丁目の愛宕神社境内に「櫻田烈士愛宕山遺蹟碑」がある。写真の日付から分かるが、訪れたのは何年も前のことだ。昭和16年3月3日の建立で碑文の揮毫は東京市長の大久保留次郎である。尊王攘夷はいわば国粋的な主張で、時あたかもアメリカとの対立を深めている折であり、時宜にかなった建碑だったのだろう。
テロにより幕府の権威を落としたこの暗殺は、時代の潮流を象徴する事件であり、倒幕のさきがけと言ってもよい。では、この神社は具体的にどのように関係するのか。「愛宕神社参拝のしおり」から一部を抜粋しよう。
万延元年三月三日、桜田事変の大壮挙を演ぜし幕末の志士、有村治左衛門並に水戸浪士の一党早旦降り積む雪を冒し当山に集り、社前に神の加護を念じて其の目的を達す。桜田事変なるものは、水薩の志士協力して、井伊大老を斃し、至尊を奉じて天下に大義を唱えんとしたものです。
正面86段の男坂は角度が急である。おそらくは関鉄之助もこの石段を登ったのであろう。先日見た映画のPR番組では大沢たかおも登っていた。事件から150年、ずいぶん遠い昔のようだ。しかし、ラストシーンで西郷が桜田門を見てつぶやいたように、明治維新まではあっという間の8年間であり、その間の出来事のすべてはここから始まっていたのだ。