人間の目鼻口の位置はそれほど変わらないのだから似ている人がいても不思議はない。あるいは、その人の表情やしぐさを自分や自分の身近な人に重ねてしまうこともあるだろう。
川越市小仙波町一丁目の喜多院に「五百羅漢」がある。喜多院のウェブサイトには「川越の観光名所の中でも、ことのほか人気の高い喜多院の五百羅漢。日本三大羅漢の一つに数えられます。」と紹介されている。
のんきなじいさんのようでほのぼのとした気分になる。老い先斯くあるべしとも思う。この五百羅漢について新井博『川越の民話と伝説』(有峰書店新社)は次のように解説する。
喜多院の山門をくぐると、すぐ右側に、たくさんの仏像があるが、これが五百羅漢で、実際には五百三十五体ある。北田島(川越市北田島〉の百姓で、出家して志誠(しじょう)といった者が、一念発起して天明二年(一七八二)から羅漢像を建てはじめた。その死後は、山内坊舎の僧侶たちが志をひきつぎ、約五十年の歳月を費して完成させたものである。
仏像はすべて同じものはない。顔の表情をはじめ、形が違っていて、たいへん変化に富み、傑作ぞろいである。こうしたことから、深夜一人で喜多院へ行って羅漢の頭をなでていくと、ふつう石は冷たいものだが、五百三十五体のうち必ず一体は温く感ずるのがあるといわれ、それに印をつけておいて翌朝ふたたび行ってみると、それが自分の親の顔によく似ているといわれる。(あるいは自分の顔に似てるともいわれる)
当時、幼子と離れて暮らしていたので、自然にカメラが向いてしまった。大きくなった今ではこんな時代もあったなと懐かしい。
この僧像にはどうも心の内が見透かされているように思われ、頭を垂れたものであった。ここまで様々な表情があると、一つくらいは真夜中でも温かいのがあっても不思議ではなさそうだ。
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