中国の重慶、ドイツのドレスデン、そして日本の東京。世界三大空襲というつもりはないが、無差別爆撃に曝され大きな被害が出た都市である。広島、長崎こそ無差別の大量殺戮だともいえよう。被害の大小を問わず犠牲者が非戦闘員から出ることが、戦争をしてはならぬ最大の理由である。
江東区三好一丁目に「平和観音」がある。紀伊國屋文左衛門の墓の手前に置かれている。
新しい観音様だが記憶に留むべき史跡である。どのような由来があるのか、台座の碑文を読んでみよう。
平和観音由来
昭和二十年三月十日戦災により当町内は全焼し百名近くの方が亡くなられました。本年三十七回忌に当り、又町内で亡くなられた方々のご冥福を永久に祈り、町内各位の御清栄と国の平和を願って平和観音を造立しました。
昭和五十六年三月十日
三好一丁目町会造立
東京大空襲の犠牲者は10万人だという。ここ三好一丁目では100名が亡くなった。10万分の100なのではない。100分の100である。一晩の空襲で多数の命が奪われた。数が問題ではなく、一人の人生が理不尽に終わらされるのかどうかである。先日、読売新聞が次のような記事を配信していた。
【ロサンゼルス=西島太郎】米サンフランシスコ近郊メンローパークの地元紙アルマナック(電子版)などによると、第2次大戦末期にB29爆撃機に乗り組んでいたところ、撃墜されて日本側の捕虜になった元米兵レイモンド・ハロランさん(89)が7日、メンローパークの病院で死去した。
死因などは伝えられていない。
ハロランさんは1945年3月の東京大空襲を生き延び、捕虜のまま終戦を迎えた。80年代からたびたび日本に招かれるなどして、各地で自分の体験を伝えてきたほか、自機を撃墜した日本のパイロットとも再会するなど、戦争体験者らとも交流を重ねてきた。
ハロランさんの公式ホームページによると、オハイオ州シンシナティ生まれ。真珠湾攻撃の後、志願して入隊。航空士としての訓練を積んだ。
(2011年6月16日22時11分 読売新聞)
寛容な心を持つ立派な方だ。それにしても何が生死の境目になるかは人知の及ぶところではない。しかし、そんな極限状況は未然に防ぐことができる。戦争はするもしないも人の意思決定だからだ。
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