紀伊國屋といえば、小さい頃からよく行った本屋さんだ。紀ノ国屋といえば、オリジナルバッグが有名な高級スーパーだ。東京土産に買って帰ったことがある。紀文といえば、ちくわ、かまぼこにはんぺんだ。うちの近所のスーパーでもよく置いてある。そして、本当の紀文は紀伊國屋文左衛門、豪商の代名詞である。
江東区三好一丁目の成等院に「紀伊國屋文左衛門の墓」がある。写真左の小さな墓石がそれである。
紀伊國屋文左衛門は「沖の暗いのに白帆が見える あれは紀の国みかん船」の俚謡で知られるように、みかんで大儲けしたものと思っていた。江東区『史跡をたずねて』を読んでみよう。
紀文は商才に富み、大老柳沢吉保や勘定奉行荻原重秀と結び、元禄期の建設ブームの波に乗って、材木豪商となり、土木建設の工事をひき請け、財をなしました。
柳沢失脚後は没落し、門前仲町一の鳥居付近に住み、享保19(1734)4月24日に66歳で没したといわれ、成等院に葬られました。
嵐をついてみかんを江戸に運び売りさばいたこともあったかもしれない。しかし、やはり紀伊國屋の発展は元禄の高度成長に歩調を合わせたことだ。政治家と結びついたことも大きい。
墓の入口に「松下幸之助」の名前を見つけた。私の子どもの頃は家電製品がナショナルだらけだった。松下は紀伊國屋文左衛門と同じ和歌山県の出身である。松下電器は高度経済成長の波に乗って発展した。松下政経塾を創立し政治にも強い関心を持っている。和歌山県湯浅町にある文左衛門生誕の碑は幸之助が建てたものだ。
和歌山県海南市の中野BCという会社の造る酒の銘柄は「紀伊国屋文左衛門」である。ロンドンにおけるインターナショナルワインチャレンジ2011のSAKE部門、純米酒の部で金メダル表彰を受けた4銘柄の一つだ。紀文を慕う後輩は「パナソニック」のブランド名で世界へ進出した。文左衛門も満を持しての世界デビューである。
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