『源氏物語』は世界最古の長編小説である、とどこかで聞いたことがある。日本人にとっては誇らしいことだが、世界の人々にも共通の認識なのだろうか。日本人でさえ時代によって様々な読み方をしてきた。この物語がどのように受容されてきたかは、それだけで歴史が語れる。いや私は語れない。今日は紫式部ゆかりの史跡ではなく、『源氏物語』そのものの史跡のお話である。
宇治市宇治紅斉に「総角之古蹟」がある。
宇治市宇治山田に「早蕨之古蹟」がある。
宇治市宇治蓮華に「夢浮橋之古蹟」がある。浮橋は水上に筏や船を並べ板を渡した橋で、しかも夢のように儚いのだから、宇治橋のような頑丈な橋ではないはずだが、紫式部像や宇治川とともに絵になる光景である。
「総角」は『源氏物語』五十四帖のうちの第47帖、「早蕨」は第48帖、「夢浮橋」は最後の第54帖である。この三つを含む『源氏物語』の終末部を「宇治十帖」と呼んでおり、宇治には十帖に合わせて関連の古蹟が10存在する。
物語は架空のはずだが、古蹟があるとはどういうことなのか。総角や早蕨がある「さわらびの道」という美しい道を上っていくと宇治市源氏物語ミュージアムにたどり着く。優雅な空間で物語の世界に浸ることができる。早速、『宇治市源氏物語ミュージアム常設展示案内』を読んでみよう。
宇治の地は宇治十帖の舞台となっております。ではそれぞれの物語は、いまの宇治ではどこで起きたことだろうか。『源氏物語』が実際にあったことではないと知ってはいても、つい考えてしまいます。
江戸時代の初めのころ、やはりそう考えた人々がいました。橋姫の話は、ここがふさわしい。椎本は、こういった場所ではあるまいか。こうして宇治十帖の古蹟として十箇所が定められ、変遷を経ながら今日に伝えられています。『源氏物語』の中では洛北小野の地がふさわしい手習・夢浮橋も、その中に含んでいます。宇治十帖だから、これも宇治にあってほしいという思いなのでしょう。
この十箇所の古蹟はいずれも、歴史上のある段階で「何か」があった所です。ただし、今ではその「何か」が無くなってしまい、宇治十帖古蹟という案内表示が古蹟そのものになってしまっている所もあります。
紹介した古蹟のうち「早蕨」は大吉山の山頂付近や宇治川左岸に置かれたこともあったようだ。物語のイメージに合う場所を求めて彷徨ったのだろう。「夢浮橋」は物語を知らない私などには納得できる場所である。
ドラマや映画の楽しみにロケ地巡りがある。眼前の光景がそのままドラマの世界となる。史跡巡りにも通じる楽しみ方だ。薫大将が佇んだのはここだったのか。フィクションをそのままでは終わらせないのが宇治十帖の古蹟である。
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