「音に名高い千光寺の鐘は 一里聞こえて二里響く」と俚謡に歌われたように、お寺の鐘の音は心に染み入り何がしかの感慨を呼び起こす。それは日本の原風景だったり、早朝の僧侶の凛とした爽やかさだったり、戦時中の金属回収だったりするだろう。全国にある梵鐘の中でも特段の優品を「天下三名鐘」と呼んでいることは前回紹介したが、今回は三名鐘に数えられる4つ目の鐘の紹介である。
奈良市雑司町に「東大寺の梵鐘」奈良太郎がいる。国宝である。
鐘の姿はシンプルで上の写真だけではその凄さが伝わらない。次の写真を見よう。
鐘楼、その内に納まる梵鐘、それを眺める人の大きさを比べよう。総高3.86m、口径2.71m、重量26.3tで、知恩院や方広寺の梵鐘と並ぶ大鐘である。しかも天平勝宝4年(752)3月7日に完成した歴史ある名鐘である。『東大寺辞典』(東京堂出版)の梵鐘(鐘楼)の項には、次のような意義が記されている。
この青銅の大鐘は慶長以前の現存のものではわが国で最大のもので、全体の形は口径が大きく作られ、音響効果をあげて遠くへひびくように考えられている。
音響効果については次のような伝説がある。華厳宗大本山東大寺の公式ウェブサイトで年中行事、除夜の鐘のページから引用しよう。
今でも大鐘を撞く時は撞座の下を撞いていますが、鎌倉時代に力持の武将、朝比奈三郎が撞いたところ三日三晩鐘がなりやまなかったので、その後撞座の下を撞くようになったといわれている。
それで「勢の東大寺」と呼ばれ、声の園城寺、銘の神護寺、姿の平等院と並んで三名鐘に数えられている。
ところで、この梵鐘、永祚元年(989)に大風で、延久二年(1070)、永長元年(1096)、治承元年(1177)には地震で鐘楼ごと倒れたそうだ。鐘楼は栄西禅師(東大寺大勧進)によって承元年間(1207~10)に再建され現在に至るが、延応元年(1239)には龍頭が切れて梵鐘が落下したそうである。
こんな写真を撮ったのもどうかと思うが、数百年間何事もないのだから安全なのだろう。鐘も凄いが、それを支えている鐘楼にも敬服する次第だ。