天皇で諡号に「武」の付く方は力強いイメージがする。神武天皇、天武天皇、桓武天皇…。今日の主人公、聖武天皇は小学6年生でも知っている奈良時代を代表する天皇である。大仏ばかりに目が向きがちな東大寺において、聖武天皇が仏教に帰依したことを直接伝える史跡を見つけたので報告しよう。
奈良市雑司町の東大寺境内に「御髪塔」がある。
「御髪塔」とは何かいわくありげだ。説明板がないので、帰ってから『東大寺辞典』(東京堂出版)で調べてみた。
法華堂十三重石塔
これは、一般に聖武天皇御髪塔といって、『東大寺伽藍略録』では聖武天皇が大仏殿で御受戒をすまされたとき、その剃髪された御髪や冠及び衣服をこの下に収められたという伝説を持っている石塔である。形式は鎌倉期に見られる一般的な十三重塔に外ならないのであって、一重分を失って十二重となり相輪も上端を欠損している。高さは約四メートルある。
今では天皇が出家するなどおよそ考えられぬことだが、日本史上、天皇経験者の出家は珍しいことではない。聖武天皇の出家はその濫觴となる画期的な歴史事象だ。石塔は後世のものかもしれないが、聖武天皇の「御髪」が埋納されているという伝承だけでも十分に価値がある。
『扶桑略記』には天平21年(749年)正月14日の条に「平城中島宮に於いて、大僧正行基に請い、其の戒師と為して、太上天皇、菩薩戒を受く。勝満と名づく。」と記されている。また、天平勝宝6年(754年)には来日した鑑真和上が東大寺で聖武上皇らに戒を授けたという。
行基も鑑真も仏教界のビッグネームだ。気高い心を抱く天皇と高僧。仏教によって人心を掌握し強力に政治を推し進めた天皇は、聖武の名こそ相応しい。
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