小野市のお土産として「KOKUI(粉喰)」という、ハッタイ粉を使った洋菓子が販売されている。サブレ、スフレ、スフレショコラ、フィナンシェ、ダクワーズと5種類あるが、最もハッタイ粉の風味が生きているのがダクワーズだそうだ。「広報おの」2013年7月号の特集「味なおみやげ自慢」で紹介されている。
小野市樫山町に「国位田碑」がある。
古い碑のようだが大切に保存されている。由来を読んでみよう。
この石碑には「國 位 免租地 源御守護神」と記されています。一ノ谷へ向かう途中、ここ樫山で休んだ源義経一行は、付近に住むおばあさんから、ハッタイ粉を食べさせてもらい、一ノ谷を落すことができたそうです。義経は、勝利のお礼に六畝歩の田と永代に渡る年貢の免除を与えたとのことです。この付近にその田があり、年貢の免除は明治九年(一八七六)まで続いたそうです。
一ノ谷の勝利はハッタイ粉のおかげということで、おばあさんは6畝歩(約6アール)の田地と年貢の永代免除の特権を義経から与えられた。その特権は明治初めまで維持されたという。また、おばあさんの家は「粉喰(国井)」という名字を名乗ったとも伝えられている。
おばあさんが与えられた「国位田」があったのがこのあたりらしい。「国位田碑」の向こう、西側に当たる場所である。
ヒーロー義経はハッタイ粉に感激しておばあさんの恩に報いたわけだが、名脇役の武蔵坊弁慶のうれしさの表現はまったく異なっていた。
同じく樫山町の山中に「弁慶の重ね岩」がある。
弁慶は感情が高まると、その怪力ゆえに凄いことをしでかしてしまう。岩の名前から想像はつくが説明板を読んでみよう。
源平合戦の頃(平安時代末期)、一ノ谷へ向かう途中の源義経一行は、樫山でひと休みしました。とても空腹だったので、近くのおばあさんに食べ物をわけてほしいと頼んだところ、おばあさんは「こんなものでよければ」とハッタイ粉を差し出しました。さっそく食べてみると、とてもおいしかったので、一行はお腹一杯食べたそうです。この奥の巨石は、満腹になった弁慶が投げて積んだと言われています。
科学的に考えると岩が割れたのであろうが、「弁慶が投げて積んだ」のである。義経一行は、平家攻めの作戦行動を開始する前に樫山で栄養補給を行ったのだろう。よほど、嬉しかったことだろう。そう想像した後世の人々は、岩の不思議な形に弁慶の思いを仮託したのである。
洋菓子「KOKUI」はもちろんのこと、ハッタイ粉すら食べていない。試みにクックパッドでハッタイ粉のレシピを検索すると334件見つかった。お湯で練ったものしか食べたことがなかったので、このバリエーションのすごさに驚いた。ハッタイ粉はやはりおいしいものなのだ。弁慶がやらかしてしまうのも当然である。
記事をご覧くださり光栄に思います。樫山はステキな町ですね。
投稿情報: 玉山 | 2013/12/27 22:16
初めまして・・コクイと申します。
我が実家の横に「国位田碑」がひっそりと立っております。
懐かしく拝見させて頂きました。
有難う御座いました。
投稿情報: コクイ | 2013/09/24 11:44