岡崎に過ぎたるものが二つあり 「オカザえもん」に「キンタロー。」の顔
2013ご当地キャラ総選挙で2位になったオカザえもんの顔は奇妙なのだが味がある。キンタロー。は四頭身と言われているが、捨て置けない芸風を持っている。ゆるキャラとの組合せなら「くまモン」がいい。童謡「金太郎」は、くまにまたがり おうまのけいこ と歌うからというのは、少し安易な企画でした。
新宿区筑土八幡町に「田村虎蔵(たむらとらぞう)旧居跡」があり、区指定史跡となっている。
田村虎蔵とはどのような人なのか。ウィキペディアには未だ項目が立てられていない。説明板を読んでみよう。
作曲家田村虎蔵(一八七三~一九四三)は明治三十九年(一九〇六)から、その生涯をとじるまでの三十七年間、この地で暮らし、作曲活動を行った。
虎蔵は、明治時代の言文一致(げんぶんいっち)の唱歌運動を石原和三郎、巌谷小波(いわやさざなみ)、芦田恵之助、田辺友三郎らと共に展開し、その普及に尽力した。小学唱歌を主に作曲し、「金太郎」「浦島太郎」「一寸法師」「花咲爺(はなさかじじい)」など、現在も愛唱されているものが多い。
旧居は太平洋戦争時の戦災で焼失したが、筑土八幡神社境内には虎蔵の功績をたたえた記念碑がある。
明治期の言文一致運動といえば、二葉亭四迷の『浮雲』を思い起こす。文学だけでなく音楽にも革新の動きがあったとは。舞台は音楽教育の場であった。言文一致唱歌が作成され、芸術性の高い童謡へ発展していくのだ。その運動の中心人物の一人が田村虎蔵であった。
旧居跡のすぐ隣の筑土八幡神社の境内に「田村虎蔵先生をたたえる碑」がある。童謡「金太郎」の楽譜が刻まれている。石原和三郎作詞、田村虎蔵作曲で、明治33年(1900)に『幼年唱歌』に発表された。碑文を読んでみよう。
田村先生(1873~1943)は鳥取県に生まれ東京音楽学校卒業後高師付属に奉職言文一致の唱歌を創始し多くの名曲を残され、また東京市視学として日本の音楽教育にも貢献されました。
先生の数ある名曲の中でも「金太郎」が代表作とのことだろう。現在でも童謡集のCDに収められているくらいだから、100年以上愛されている名曲中の名曲である。
本日紹介したのは童謡「金太郎」の史跡であって、坂田金時という伝説上の人物、ましてやキンタロー。には、まったく関係なかった。期待して読んでくださった方、申し訳ございません。
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