宇多田ヒカルのデビューは衝撃とともに記憶している。アルバム『First Love』をやっとのことで手に入れ、ここまで歌える子がいたのかと感心しつつも、個人的にどん底だった当時、切ない気持ちで繰り返し聞いたものだ。歌のうまさは親譲りだと聞いていた。
新宿区新宿六丁目の西向天神社に『新宿の女』の歌碑がある。平成11年9月25日の建立である。
歌碑の裏には由来が書いてある。読んでみよう。
昭和四十四年九月二十五日『新宿の女』で、この西向天神より二人の若者が旅立って行き、石坂まさをと藤圭子の名は時代を刻み、伝説として語られるようになった。
藤圭子は昭和44年9月25日に石坂まさをの作詞・作曲による『新宿の女』でレコード・デビューした。思うように売れないことを感じた石坂は驚くべき宣伝を仕掛ける。それが「新宿25時間キャンペーン」で、25時間流して歩き本人と歌とを売り込むのである。
その出発地になったのが西向天神社であった。同じ年の11月8日午前9時のことだという。まさに藤圭子がスターダムに登り始めた場所だったのだ。
不幸なことに藤圭子さんが亡くなった。歌はほとんど聴いたことはない。でも宇多田の親としては知っていた。作家の五木寛之氏は朝日新聞に寄せたコメントの中で「1970年のデビューアルバムを聞いたときの衝撃は忘れがたい」と述べている。
宇多田ヒカルさん、どうか気をしっかり持って、自分を大切になさってください。また、あの歌声を待っています。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。