温泉に入ると、日本に生まれてよかったとしみじみするものだ。なぜ心地よいのか。まずは広いこと。手足を伸ばすと浮力を感じることができる。次に泉質が豊かなこと。特に硫黄泉やアルカリ泉などは別世界が楽しめる。そして時の流れが異なること。実際には異ならないが、時間までゆったりとしているかのように感じる。
先日、高松市の仏生山温泉天平湯に行ったが、まことに心地のよい時間を過ごせた。今どきのカフェと見まがうような造りである。もっとも食事処がカフェ級なので、温泉付きのカフェと考えてもよいかもしれない。私はかき氷の宇治金をいただいた。
おっと、ふつうのブログになってしまった。今日はふつうではない歴史的な温泉をレポートする。
岡山市中区湯迫(ゆば)の湯迫山浄土寺に「重源上人遺跡 備前国府大湯屋址」がある。「湯」のつく地名には温泉があることが多い。
湯迫温泉は「岡山の奥座敷」と呼ばれるレジャースポットとして繁盛している。『角川日本地名大辞典33岡山県』によると泉温11度、湧出量毎分14.5リットルということだ。冷泉である。
手前に写る古びた説明板には、源泉名は湯迫温泉、発見者は重源上人、泉質は硫黄泉とある。重源といえば、平氏の南都焼討後の東大寺再興に尽力した事で歴史に名を残している僧である。この高僧がどのようにこの地に関係しているのか。岡山市教育委員会の説明板を読んでみよう。
寺域の一角には、鎌倉初期、俊乗坊重源が庶民施療のために設けた大湯屋に関係すると言われる泉があり、山名の起源に関わるとみられる。事実、一帯からこの頃の瓦が発見さる。瓦は、重源が再建した奈良の東大寺と同じ型式のもので、軒側面に、「東大寺」と刻印されたものがある。
重源は、平重衡によって焼かれた東大寺の大勧進として、その造営料国となった備前国に数年のあいだ赴き、国務を司るかたわらこうした社会事業にも尽力した。
重源ゆかりの寺は小野市(播磨)の浄土寺、防府市(周防)の阿弥陀寺など各地にあるが、特に阿弥陀寺の湯屋は文化財となっている。
重源上人が発見したという備前の湯迫温泉には次のような伝説がある。『岡山市の歴史みてあるき』(岡山市遺跡調査団)を読んでみよう。
伝承によると、いつの頃か、農家の牛がはまって(おちて)死に、それ以後は全く温泉が出なくなったが、これと同時に伊予国の道後の温泉が出るようになったといわれている。
もちろん道後温泉のほうがかなり歴史は古い。それでも湯迫温泉は負けん気が強い。オレだって昔は温泉出してたぜ、オレが運悪く事故ってからあいつが強くなりやがったんだ。
いいだろう。それくらいの気概を持つことが生きていくには必要だ。気合いを入れて仕事に臨み、疲れがたまれば温泉で癒す。古来、日本人はそうしてきた。壺にはまった事業、そう、お風呂にはまって人々は喜ぶ。さすが重源上人は心得ていらっしゃる。
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