今日は卑弥呼の墓である。やはり邪馬台国はここにあったのだと思う。権力の確立と権威の生成には象徴が不可欠だ。卑弥呼という女性も前方後円墳も権力の象徴であった。権力の可視化の役割を担っていた。見よ、下の写真を。特異な形態をした巨大な墓の出現である。
桜井市箸中に「箸墓古墳」がある。向こうには神の山、三輪山が見える。池の中に島のように草むらがある。かつての陪冢(ばいちょう)だろうか。池は箸中大池、農林水産省が平成22年に選定した「ため池百選」の一つである。
箸墓古墳は宮内庁の管理する陵墓である。下の写真が正面である。陵墓としては倭迹迹日百襲媛命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)という。
倭迹迹日百襲媛命は第7代孝霊天皇の皇女で、卑弥呼と同じく巫女であった。とはいえ、卑弥呼のような一国を代表するような権力者ではなく、同一人物だと想定することはできない。『日本書紀』の「崇神紀」には次のようなエピソードが記されている。
倭迹迹日百襲姫命は大物主神の妻となった。この神は昼には現れず夜にだけやって来た。姫命は夫の神に言った。「あんた、昼間に出てこんかったら、顔がはっきり分からんやないの。夜来たら、そのままじっとしとき。明日の朝、かっこええ姿を見させてもらうわ」神が答えて言った。「もっともなことやな。わし、明日の朝におまえの化粧道具入れに入っとくわ。頼むから、わしの姿に驚かんといてな」姫命は不思議に思った。明くる朝、化粧道具入れを見ると、小さな蛇がいた。その長さ太さは衣の紐のようだった。姫命はびっくりして叫び声をあげた。夫の神は恥じ入り、たちまち人の姿になって現れた。そして妻の姫命に「なんで我慢せんのや。おれに恥かかせやがって。今度はおまえに恥かかせたるわ」と言って、大空を駆けて三輪山に登ってしまった。姫命は空を仰いで後悔し尻餅をついた。その時、箸で陰部をついたため亡くなってしまった。
ここで箸墓古墳が登場する。
乃ち大市に葬る。故(か)れ時の人其の墓を号(なづ)けて、箸墓(はしのみはか)と謂ふ。是の墓は、日(ひる)は人作り、夜は神作る。故れ大坂山の石を運びて造る。則ち山より墓に至るまで、人民相踵(つ)ぎて以手遞伝(たごしにして)運ぶ。時の人歌ひて曰く、
大坂に 踵ぎ登れる 石群(いしむら)を 手遞伝(たごし)に越さば 越しかてむかも
「日(ひる)は人作り、夜は神作る」という文言は有名だ。急ピッチで造成されたということか、人の造ったのとは思えない巨大さだったのか。それとも衝撃的な造形美だったのか。
今年の2月20日に研究者16人が箸墓古墳で立ち入り調査を行った。宮内庁の特別の計らいだ。約1時間半かけて墳丘すそを一周し、地表に現れている葺石を確認した。この葺石は「崇神紀」の伝えるように、大坂山から運ばれたものだったのだろうか。
この美しい古墳を前にすれば、我が国の悠久の歴史に改めて思いを致す。権力の変遷を歴史の過程と捉えるならば、まさにここは日本の歴史の原点である。
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