古墳の魅力はその形状にある。前方後円墳もいいが、よくありがちなので、方墳を話題にしたい。日本最大の方墳は、橿原市の桝山古墳で一辺約90mある。世界に目を向けると、エジプトのクフ王のピラミッドも方墳であった。一辺が230mもあり、数学的に美しい構成となっているというから、エジプト文明の偉大さに今更ながら恐れ入る。
姫路市御国野町国分寺に「山之越古墳」がある。
方墳としては兵庫県で最大で、一辺は約60mである。クフ王には比ぶべくもないが、古代播磨の首長の権力もなかなかのものだ。説明板を読んでみよう。
山之越古墳は、大正十年、壇場山古墳、第一、第二古墳とともに第三古墳として国史跡に指定された。五世紀中頃の方墳で、壇場山古墳に次ぐ首長墓とされる。平成二三年に姫路市が行った墳丘東部の発掘調査により、墳丘の一辺約六〇mで、周囲に幅一五m程度の周濠が巡ることが確認された。墳丘は北側を中心に大きく削平されており、中央に竜山産の凝灰岩製長持型石棺が露出している。石棺は明治三〇年に開棺調査され、獣帯鏡、鉄刀、鉄剣、玉類が出土した。
写真の長持型石棺の向こうに見える緑の丘が「壇場山(だんじょうざん)古墳」である。全長約143mの前方後円墳である。こちらは兵庫県では第3位、西播地方では最大の規模を誇る5世紀前半の古墳である。
これらの古墳の主は誰か。ここは播磨国の中心地で、針間国造(はりまのくにのみやつこ)の勢力圏である。倭の五王と同時期に播磨を支配していた彼らの墓なのだろう。播磨の王者にふさわしいピラミッドである。
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