Money、Money、Money、お金くれ。給料アップして~。カネ、カネ、カネ、お金くれ。あ~あ~、ああ~、お金ください~、と小学生が『希望山脈』(渡り廊下走り隊7)の替歌を歌っていた。悲しいけれど、妙に共感できる。アベノミクスは順調に進んでいるのか。本当に貨幣流通量は増えているのか。我が家の手前で貨幣の流れを留めている奴は誰なのか。いろいろと気になることがある。
求めてやまないお金をまた費やして、お金の遺跡へ行ってきた。失う金は多額にのぼったが、得るものもまた大きかった。今日はそのレポートである。
まずは、このバス停である。「銭司」と書いて「ぜず」と読む。縁起の良い地名だ。似た地名が山口市にある。「鋳銭司」と書いて「すぜんじ」と読む。そういえば北海道の函館本線に銭函(ぜにばこ)駅の入場券が人気があった。やはり銭や、銭やで。
バス停のすぐ向こう、木津川市加茂町銭司に「『和同開珎』鋳銭遺跡地」がある。小字は金鋳山(きんじゅざん)である。益々ありがたい地名だ。
山口市鋳銭司(すぜんじ)にも「周防鋳銭司(ちゅうせんし)跡」という和同開珎を鋳造していた史跡がある。ここ銭司(ぜず)も同様な史跡のようだ。説明板を読んでみよう。
奈良時代(八世紀)から鋳造された皇朝十二銭のうち、最初の貨幣である「和同開珎」の鋳造遺跡である。
遺物は小字金鋳山全体から発見されているが、小字には「金谷」「和銅」など、往時の鋳銭をしのばせる地名が残っている。
他にもイロノ前・カジ上・フロノ本・フダ場・ドウノ垣内・ドウノ後・クラ屋敷などの通称が現存する。
この地に鋳銭所が設置されたのは、律令政治の中央政府に近いこと、木津川による運輸交通が便利なこと、帰化技術者の多くが近くに住んでいたことなどが考えられる。
なるほど、お金関係の地名が満載の素晴らしい場所だ。木津川の水運を考え合わせると、鋳銭所がこの場所にあったのもうなずける。
そして、極め付けはこれだ。またお金を使って、お金を手に入れた。
恭仁大橋を南に渡り右に曲がってしばらく歩くと「小間安老舗(こまやすろうほ)」という和菓子屋さんがある。そこで買った「いづみ路」(左)と「恭仁古銭」(右)である。どちらも「和同開珎」を模している。木津川はかつて「いづみ川」と呼ばれていた。
見栄えもいいが、味が上品で自信を持ってお薦めできる。旅の思い出とともにおいしくいただいた。旅にも土産にもお金はかかるが、豊かさを手に入れることができる。