長期間の出張のため、しばらく記事の更新を怠っていましたが、また書き始めます。どうぞ、よろしくお願いします。
墓の大きさは権力の大きさを示すことは、世界三大墳墓(仁徳陵、始皇帝陵、クフ王ピラミッド)を思い起こすだけですぐに理解できる。うち、仁徳陵だけは実際に訪れたことがある。歩いて一周して大きさを実感しようとしたが、途中でくたびれて挫折してしまった。上空から見ると前方後円の美しい形が見て取れるが、横からだと単なる山にしか見えない。
その点、今日紹介する五輪塔は分かりやすい。「でかっ」と思わず声の出る迫力で、周囲を圧倒している。
尾道市長江一丁目の福善寺の裏山に尾道市指定文化財の「石造五輪塔」がある。
高さは295cmと287cmである。八幡市八幡高坊(石清水八幡宮の近く)にある航海記念塔は高さが6mというから、その比ではないが、この辺りでは見たこともない大きさだ。いったい何だろうか。説明らしき文が小さな石碑に刻まれている。読んでみよう。
桓武帝六代之後胤鎮守府将軍従四位下陸奥守平朝臣貞盛與利拾五世之末葉持倉進之太夫則秀父子之墓
要するに桓武平氏の貞盛から15世の末孫、持倉則秀父子の墓ということだ。調べてみると、父子の名は則秀、則保で官途名は修理太夫、尾道市北部の鷲尾山城を本拠とする杉原氏の家臣だという。この地には、杉原氏の尾道海岸部への進出とともに持倉氏によって築城された丹花(たんか)城があった。
丹花城は天正年間初期の築造とされるから、それほどの古城ではない。しかし、城主父子の墓とされる巨大五輪塔はそれより遥かに古いもののようだ。
そういわれてみると、建立が平安末期とも鎌倉後期ともいう航海記念塔と形状がよく似ている。おそらくは備後大田荘の港町として栄えた尾道の有力人物が塔の建立に関係しているのだろう。
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