岡本太郎の傑作に「坐ることを拒否する椅子」というのがある。物理的に坐れないことはなさそうだが、精神的に坐った気にならないだろう。ゴツゴツしている上に動き出しそうな気がする。動かないとしても嫌がられている感じがする。
その対極にあるのが、伝説ではよく登場する「腰掛岩」である。こちらは座ることを求めている岩である。貴人をその気にさせ、言い伝えを聞いた人を信じ込ませる造形美である。腰掛岩の平均的な高さを調べてみるのもよかろう。納得する数値がはじき出されるのではないか。
尾道市長江一丁目に「菅公腰掛岩」がある。
近くには御袖天満宮(みそでてんまんぐう)が鎮座している。天満宮といえば菅公、菅原道真公である。何らかの伝説があるに違いない。『尾道の民話・伝説』(尾道民話伝説研究会)で調べてみよう。菅公が左遷により瀬戸内を下る途中のことである。
京都から長い船旅の途中、景色のよい尾道につき、ここで船泊りすることになりました。
長江の入江に船を着け、浜の岩に腰をかけられた道真公は、静かな海と松のみどりにどれほど心をなぐさめられたことでしょう。
そこへ、この近くに住む金屋という百姓が通りかかりました。道真公を見て、都の人らしいがひどくお疲れの様子なのでお気の毒に思い、自分の家にお連れしました。そして、粗末ながら温かい麦飯と麦で作った甘酒を差し上げて、土地の様子など話してあげました。道真公はたいへん喜ばれて、
「いろいろと心づかいありがとう。何かお礼をしたいが、今の身の上では」
としばらく思案しておられましたが、自分の衣の片袖をちぎると筆に墨をつけ、その袖に自分の上半身の絵姿を描いて百姓に渡しました。
百姓はこの御袖を家宝として代々大切にしましたが、のちに社を建てておまつりしました。
この社は御袖が御神体なので、神社名を『御袖天満宮』というようになりました。
今も神社の例祭には、腰掛岩前の畑で収穫した麦を使った麦飯と甘酒が供えられているということだ。ずいぶんと長く伝統が受け継がれている。その後、金屋という百姓は天神金屋と呼ばれ大変栄えたということだ。
ただし、この伝説は江戸時代の商都尾道に栄えた豪商金屋が創作したものだとの見方もある。案外、伝説とはそんなものかもしれない。
いずれにしろ受験生にとっては、ここに菅原道真公が祀ってあることに意義がある。今年も多くの生徒が参拝したことだろう。道真公、どうか彼らの願いを聞き届けてやってくださいませ。ならば、公への畏敬はいや増しに高まること間違いございませぬ。