尼崎の「残念さん」なら一度紹介したことがある。大阪にも「残念塚」がある。残念、無念、再来年ともいう。何かを成し遂げようと思ってできなかったことは多い。歴史に残ったかもしれない未完の大業もあれば、あーあで済んだ私事もある。
尾道市西久保町に「残念さん」と「案外さん」の墓がある。墓碑の上部に残念さんは「長門」、案外さんは「長藩」と刻まれている。どちらも長州藩兵である。
こちらの残念さんも幕末を舞台にしている。国事に奔走していた長州藩の武士は何が残念だったのか。『尾道の民話・伝説』(尾道民話伝説研究会)で読んでみよう。
大山寺に宿営していた者の中に、たいへん早合点する軽卒な兵士がいました。それでも彼は自分のことを、
「わたしは敏速で才智があるのだ」
と自慢していました。
その後まもなく、
「福山城の背面を攻撃せよ」
という命令が下りました。
「功をあげるときが来た」
と彼は人々の先に立って夜明けに出発し、左右には目もくれず一目散に東進しました。ちょうど伊勢宮あたり(今の松永東部)で朝食しようと休憩中、敵の伏兵たちに発見され、一戦を交わす間もなく斬り倒されてしまいました。彼がいかに残念であったかその心情を思い、『残念さん』といい伝えています。
なるほど、これはさぞかし残念、無念であったろう。ただし、恭順の意を示す福山藩の武士がそんなに軽率(!)に長州藩兵を殺害するだろうか。まあ、よい。では、案外さんは何が案外(意外)だったのだろうか。先ほどと同じ本を読んでみよう。
久保町浄泉寺に宿泊していた長州軍の中に一人無頼の者がいました。町の人たちの親切も考えず、酒を飲み歩き、民家に押し入っては家族をおどかして金品を奪い、軍規を乱すことが度々でした。
ある日のこと、この者に上官のところへ来るよう命令がありました。彼は同僚に向かって
「どうだ、自分の勇気をほめて恩賞をくださるのだ」
と胸を張って大笑いしました。やがて上官の前に出ますと、これは意外、自分の考えと違って、短刀と白装束を前に差し出されました。
「お前は自刃してその罪をつぐなえ」
ということです。
彼は驚いて一生懸命助命を願いましたが許してもらうことができず、ついに切腹しなければなりませんでした。
あまり案外のことなので、町の人たちはこの人に『案外さん』とあだ名をつけました。
なるほど、これは思わぬ展開で意外だ…なんてわけない。滅茶苦茶やっといて恩賞とかあるわけねえだろ。舞い上がっている本人にとって案外な展開だったにすぎない。
新しい国づくりを夢見て東へ上っていたのか、自分の名を上げるために軍勢にしたがっていたのか、二人の目的意識はどうだったのか。どこまでが真実なのか判然とせぬ「残念さん」「案外さん」だが、長州藩の若者が異郷で悔しい思いを抱きつつ命を落としたことは間違いない。
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