香川県の特産物は「讃岐三白(さぬきさんぱく)」だという。讃岐で白いものと言えばー、そっか、うどんだ! ふつう、そう答えるだろう。ところが、正解は「砂糖」「綿」「塩」である。
このうち「砂糖」は和三盆糖という口溶けのよい上品な砂糖として有名だ。近年はロールケーキやバウムクーヘン、クッキーなどに使用されて人気商品となっている。東かがわ市湊と高松市松島町二丁目の二か所にある「向良(こうら)神社」は、讃岐糖業の祖、向山周慶(さきやましゅうけい)と彼を助けた薩摩の人、関良助を祀っている。
「綿」が讃岐木綿として全国に知られていたのは江戸から明治にかけてのことだ。ただ、観音寺市豊浜町には豊浜綿寝具協同組合があり、今も綿製寝具の生産がさかんである。観音寺市豊浜町箕浦関谷の「わた神社」は、この地に綿の栽培を伝えた関谷兵衛国貞(せきやひょうえくにさだ)を祀っている。鎌倉時代の武士だという。
さて、「塩」である。香川県が明治中頃から昭和にかけて、塩の生産高で全国1位だったことは意外に知られていない。大規模な塩田があったのである。宝暦五年(1755)に高松藩主の命により梶原景山(かじはらけいざん)が塩田を拓いた。赤穂や松永などの先進地から技術を導入したという。高松市屋島西町の塩釜神社に景山頌徳碑がある。
そして、文政十二年(1829)に110余町歩、釜数72という広大な塩田を造り、香川県の塩業の基礎を築いたのが、久米通賢(くめみちかた)、通称栄左衛門(えいざえもん)であった。彼は地域発展の恩人として、塩田のあった坂出市で顕彰されている。
JR坂出駅北口に「久米通賢翁と入浜式塩田」のレリーフがある。平成19年に坂出商工会議所が創立70周年を記念して設置したものだ。
半3Dではなく、完全な3D像が下の写真だ。
坂出市常盤町二丁目の聖通寺山公園に「久米通賢翁」の銅像がある。この像は2代目(矢野秀徳制作)で、初代(織田朱越制作)は金属供出されたらしい。
讃岐における「砂糖」の祖、向山周慶と関良助は、神様として祀られている。「綿」の祖である関谷兵衛国貞も神様になっている。それでは、「塩」の恩人、久米通賢はどうなのだろうか。
坂出市常盤町二丁目の鹽竈(しおがま)神社の境内に「坂出神社」がある。
扁額は源頼壽(みなもとのよりなが)の揮毫による。源頼壽とは、貴族院議長を務めた伯爵、松平頼寿のことだ。もう察しはついているだろうが、高松藩松平家である。この神社が今日のメインなのだ。由緒書がすべてを語り尽くしている。
祭神 事代主命 久米通賢命 松平頼恕命
祭神久米通賢命は東讃馬宿の人、時勢を考察國利民福を念願し、必死の覚悟で高松藩に坂出墾田を建白、私財・借財と全智を傾けて、文政十二年に二百数十町歩の坂出墾田を完成、殊に百十五町歩の久米式塩田から製する塩は、坂出の特産となって村と藩を富まして日本一の製塩地坂出の基となった。
祭神松平頼恕命は第九代高松藩主、通賢の英智と誠意を認め、反対する藩意を押して自らの納戸金を工事費に充てゝ坂出墾田を奨めた英主である。
この恩恵によって坂出は日を追って富み栄え町民挙て通賢翁と頼恕公を坂出の守護神と崇め尊び、昭和九年十二月鹽竈神社境内に新に社殿を建立し、その御霊を創祀して坂出神社と稱した。
頼恕公が建てた坂出墾田之碑は天神社境内にある。
久米栄左衛門は、やはり、神様になっていた。しかも、主君の9代藩主松平頼恕(まつだいらよりひろ)と並んで、いやそれ以上の扱いとなっている。
瀬戸大橋をJRで渡ると坂出駅に停車する。駅の北は商業施設や住宅で、都市らしい顔をしている。そこには、かつて塩田が広がっていた。その塩田を開拓したのが神様栄左衛門、久米通賢であった。今は無くなった塩田が坂出発展の基礎となっている。それゆえに、久米栄左衛門は坂出の守護神なのだ。
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