名優佐野浅夫の代表作は『水戸黄門』だと思われているし、事実そうなのだが、私にとっては『風と雲と虹と』である。生まれたばかりの鳥が最初に見たものを親と勘違いするのと同じように、私は平将門の『風と雲と虹と』で大河デビューしたので、加藤剛も山口崇も緒方拳もみんな代表作が『風と雲と虹と』だと思っている。
名優佐野浅夫が演じていたのが将門の伯父平国香(たいらのくにか)であった。演技がどうの人物造形がどうのと語るだけの記憶がない。それでも平国香というマイナーな人物をメジャーデビューさせた功績は大きいのである。
筑西市東石田(ひがしいした)は「平国香ゆかりの地」である。正面にはランドマークの筑波の霊峰が見える。
「ゆかりの地」というのも微妙な表現だ。生まれたのか没したのか、それとも戦ったのか。この看板を通り過ぎると「石田山長光寺」がある。曹洞宗のお寺である。この門前に肖像画付きの説明がある。文は長いが、それほど内容があるわけではない。
平国香は臣籍降下した高望王の嫡男で常陸大掾、鎮守府将軍である。だが、有名になったのは甥の将門に殺されたがためである。『将門記』は承平五年(935)2月の野本合戦から始まるが、初戦で勝った将門は次のような行動に出る。
其の四日を以て、野本、石田、大串、取木等の宅より始め、与力の人々の小宅に至る迄、皆悉く焼き巡る。
この後、「千年の貯えは、一時の炎に伴う」「男女は火の為に薪となり」などと、焼討ちの激しさが強調されている。国香やその妻の実家源護一族の本拠地を攻撃したのである。その頃、国香の嫡男貞盛は京に上って官職に就いていた。そして次のような凶報を聞くのである。
厳父国香の舎宅は、皆悉(ことごとく)殄滅(てんめつ)し、其の身も死去しぬる者なり。(中略)亡父は空しく泉路の別を告げ、存母は独り山野の迷を伝う。
これを聞いて故郷に戻った貞盛は復讐の鬼と化したのか。そうではない。自分は都に帰らねばならぬ身、手強い将門と対決するのは得策ではない。こう考えて将門と和睦するのである。もっとも、その後、良兼叔父さんの巧みな説得で将門への攻撃に加わることとなる。
さて、写真の長光寺は、国香とどのようなゆかりがあるのか。村上春樹『物語の舞台を歩く 将門記』(山川出版社)に次のような指摘がある。
石田とは、現筑西市東石田で、平国香の居館があったと伝えるところである。居館は、東石田の長光寺の地内にあったと伝えている。この寺の付近で尋ねると、国香の居館は、寺の約四〇〇メートル北方の鹿島神社の辺りという。
では、鹿島神社にも行ってみよう。
長光寺も鹿島神社も一続きの台地上にあり、国香の居館もここにあったのだろう。長光寺の南方の民家二軒がそれぞれ国香の墓を伝えているという。確かに東石田の台地は「平国香ゆかりの地」である。私は佐野浅夫演じる国香の顔を思い浮かべながら自転車をこいでいた。
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