政教分離に敏感な現代日本から見ると、アメリカ大統領が聖書の上に手を置いて宣誓したり、イギリス国教会という宗教があったりと、政治と宗教の距離が意外に近いことに驚きを覚える。
我が国でも、その長い歴史を振り返ると、政治と宗教は普通に結びついていた。なぜ結びつくのか。政治も宗教も、より良き未来を志向しているからだ。救いを求める人々に応えようとしているからだ。
時は鎌倉時代、我が国をより良き方向へ導こうとした宗教家がいた。日蓮上人である。
伊勢市倭町に「日蓮上人誓いの聖跡」がある。手前が上人ゆかりの井戸で、奥に見えるのは記念の宝塔である。
日蓮といえば、法華経こそ真の仏教との信念から、さまざまな難局に立ち向かいつつ教えを広め、今日の日蓮教団の源流となった高僧である。
安房に生まれ、比叡山に学び、鎌倉で布教し、佐渡に流され、身延山に入り、武蔵で亡くなった。このブログでも「日蓮聖人を救った奇跡」、「日蓮大聖人の御入滅」と題してレポートしたことがある。
今日は伊勢神宮の近くである。神宮と日蓮にはどのような関係があるのだろうか。説明板を読んでみよう。
日蓮上人(一二二二~八二)は、鎌倉・比叡山などで修業し、仏法の真髄は「法華経」にあることを悟りました。建長五年(一二五三)関東下向の途中、伊勢神宮内院といわれていた旧常明寺(倭町)に参籠し、境内の井戸で潔斎して
我 日本の柱とならん
我 日本の眼目とならん
我 日本の大船とならん
の、三つの誓いを立て、それを皇大神宮に誓願いたしました。この年日蓮宗は立教開宗されました。
なるほど、故郷へ戻る途中に立ち寄ったわけだ。それは決してお伊勢参りと称した物見遊山ではない。アマテラスに法華経の布教を誓うためである。立教開宗は故郷の清澄山で宣言されたが、日蓮の宗教改革は伊勢神宮から始まったと言えよう。
日蓮は生涯、三つの誓いを忘れることがなかった。佐渡配流中の文永九年(1272)に著した『開目抄』(下巻)で、改めて次のように誓っている。
本願を立つ。「日本国の位をゆずらん、法華経をすてて観経等について後生を期せよ」「父母の頸を刎ねん、念仏申さずは」なんどの種々の大難出来すとも、智者に我が義やぶられずば用いじとなり。其の外の大難、風の前の塵なるべし。「我、日本の柱とならん。我、日本の眼目とならん。我、日本の大船とならん」等と誓いし願い、やぶるべからず。
誓いを立てよう。「『法華経』を捨てて『観無量寿経』等を唱え、極楽浄土に生まれ変わるよう願うなら、日本国の国主にしてやろう」と誘惑されるとか、「念仏を唱えないなら、父母の首をはねるぞ」と脅されるとか、さまざまな困難に立たされようとも、真理を知る高徳な人に私の考えと行動を否定されない限り、誘惑や脅しを決して聞き入れることはない。その他の困難など、風の前のチリのようなものだ。「私は末法の世を救う法華経を広めるため、日本を支える柱となろう。日本の眼となって進路を見定めよう。日本の船となって人々を導こう」との誓いを、決して破ることはしない。
なんという力強さだろう。日本の柱となると誓い、この国の在り方について、三度にわたり幕府に諫言したのである。法華経は人の心を救い、国をも導く力を持っている。それが日蓮の信念であった。
政治と宗教、日蓮にとっては一体不可分の関係である。政教分離の今、両者はずいぶん離れているのかと思えば、政党の後ろを肩越しに見ると、それぞれに篤い信仰を抱く団体がいるではないか。政治と宗教、その関係は今もけっこう近いようだ。
日楽さま
コメントをくださいましてありがとうございます。まさに故きを温ねて新しきを知るですね。歴史は学びの宝庫だと感じます。
投稿情報: 玉山 | 2018/01/31 20:43
先の大戦で国の命運をかけて戦った我々の祖父、親、そして当時の日本人。
無条件降伏を強いられて終戦。
その際、米国は戦時国際法や人権宣言における人道正義に明らかに違反する都市の絨毯爆撃に続く2度の核兵器の使用による無差別殺人。これらの事実を何ら問い糺すこともなく今日に至り、現代の多くの日本人は大変な国難が迫りつつあることも認識できないほど彼らの愚民化政策に支配されている。
日蓮大聖人が今の日本及び世界を観たらどのように嘆かれるだろうか。
日蓮大聖人の南無妙法蓮華経を学び習い修行すると誓っている人々は、この開目抄を学びどのように決意委するのでしょうか。
今年は日蓮大聖人の立宗宣言から766年、私は細やか乍ら、行動を始めたい。
投稿情報: 日楽 | 2018/01/30 00:55