最近聞いた演説で、ヒラリー・クリントン候補の敗北宣言ほど感動したものはない。彼女の敗北は、初の女性大統領が実現しなかっただけでなく、マイノリティに寛容な社会への歩みを遅らせることとなった。だがヒラリーは、若い世代の女性に自らの夢を託して、次のように言った。今月9日のことである。
To all the women, and especially the young women, who put their faith in this campaign and in me, I want you to know that nothing has made me prouder than to be your champion.
この陣営と私を信じてくれたすべての女性、特に若い女性には、あなたがたの希望となれたことが、私にとって、この上ない誇りだと知ってほしい。
ヒラリーが去り、やがてオバマ大統領も退任する。超大国の理性と良心が消えゆくような寂しい思いがする。この先、どうなっていくのか。不安を覚えるのは、ヒラリーを応援した人々だけでない。
不安というか心許ないと言えば、我が国の国会議員の発言である。今年2月17日の参議院憲法審査会で、丸山和也議員は次のように発言した。
例えば、今アメリカは黒人が大統領になっているんですよ。黒人の血を引く。これは奴隷ですよ、はっきり言って。それで、リンカーンが奴隷解放をやったと。でも、公民権もない何もないと。マーティン・ルーサー・キングが出て、公民権運動の中で公民権が与えられた。でも、まさかアメリカの建国あるいは当初の時代に、黒人、奴隷がアメリカの大統領になるようなことは考えもしない。
取消線の部分は、会議録から既に削除されている。オバマ大統領を奴隷の子孫と誤認していたのだ。国会の場だけに、発言の重みが問われる。
今日は、さらにさかのぼって「腹切り問答」という戦前のエピソードを紹介し、政治家の発言の在り方について考えたい。
伊勢市岡本一丁目に「濱田國松邸跡」がある。石碑には「濱田國松顕彰碑」とある。平成元年に弧松顕彰会が建立した。
濱田國松は気骨ある政党政治家である。反軍演説の斎藤隆夫や人民戦線事件の加藤勘十とともに、『議会主義か・フアツシヨか』(昭和12)という本も出している。石碑裏の説明を読んでみよう。
濱田國松。明治元年宇治山田に生る。東京法学院卒業後弁護士となり、大正四年政友会に入党、司法次官をへて、昭和九年衆議院議長。昭和十二年一月の第七十議会の施政方針演説で、軍部専制を非難し、寺内陸相と所謂「はらきり問答」を行って一世を聳動させ、廣田内閣を総辞職に追いこんだ。昭和十四年没。号は孤松。
昭和11年11月に竣工したばかりの新しい帝国議会議事堂で第70回帝国議会が開かれた。翌12年1月21日、衆議院本会議で政友会の濱田國松が質問に立った。五・一五事件や二・二六事件、そして軍部大臣現役武官制の復活を例に出し、次のように言った。
斯様な工合に此独裁思想、軍部の推進的思想と云ふものが、総て近年の政治の動揺の本になる。是等の人々から言ふと、動揺があるから安定する為に政治の推進力が必要である、而して吾等の唱ふる政策に依って安定して居ると言ふのだが、是は偶々以て人心の不安を招く一原動になるやうな推進力が確かにあります。斯様な事が一種の近年に於ける我国の政治的「イデオロギー」でありますから、此底を流るゝ所の「ファシズム」と申しますか、独裁思想と申すか、是等の思想は滾々(こんこん)として強い力で底を流れて居って、畏多いことであるけれども、文武恪循(ぶんぶかくじゅん)に関する所の大詔の御聖旨にも、時には副はざるやの憾(うらみ)ある政治の情勢が現はるゝ。如何にしても忠誠の念に燃ゆる所の吾々の堪へ得ざる政治の欠点であると私共は考へる。
文武恪循とは、文官と武官がそれぞれの職責を謹んで果たす、つまり協力することである。それが、軍部の独裁思想によってできなくなり、政治が動揺している。軍部独裁は天皇陛下のお気持ちに沿わないもので、忠誠の念に燃える我々には堪え難い政治の欠点である。
理路整然と現状の問題点を指摘した。「忠誠の念に燃える我々」に比べ、軍人は…「不忠者」とは言っていないが、軍人にはそう聞こえたのだろう。廣田首相が答弁した後に、寺内寿一陸軍大臣が、「私も一言御答弁を申します」と発言を求め、こう言った。
尚ほ先程から濱田君が種々御述べになりました色々の御言葉を承りますると、中には或は軍人に対しまして聊か侮蔑さるゝやうな如き感じを致す所の御言葉を承りまするが……(「ノー/\」)是等は却て濱田君の仰しゃいまする所の国民一致の御言葉に背くのではないかと存じます。
これに対して、濱田議員は再質問に立ち、次のように追及した。
唯此場合一言中上げたいと思ふのは、陸相寺内君は私に対する答弁の中で、濱田の演説中軍部を侮辱するの言辞があると云ふことを仰せられた。何処が侮辱して居る。(拍手)私共は此議場に立っても国家の為に、軍の名誉の為に、最も善意を以で出来得る限り慎重の注意を以て御質疑を申上げた積りである。(「其通り」と呼ふ者あり)其私に軍部を侮辱するやうな意思などがありやう筈はない。が私も生きたる人間、多数出した声の中に言葉の使ひ方が悪かったこともあるかも知れぬ。悪かったら相済まぬことであるから、此席で確に此言葉を聴いた数千人の傍聴―国民の前で取消すのが順序である。追て速記録を調べて、云々と云ふやうな胡麻化しの取消など私はせない。開会時間が延びて、議場の諸君にも御迷惑であられる。閣僚諸君の御疲労にも遠慮致さんければならぬ。苟も国民代表者の私が、国家の名誉ある軍隊を侮辱したと云ふ喧嘩を吹掛けられて後へ退けませぬ。(拍手)私の何等の言辞が軍を侮辱致しましたか、事実を挙げなさい。(「其通り」と呼ふ者あり)抽象的の言葉では分りませぬ。此問題が此席上に於て、同僚の立会証明を以で証明せられない以上は、私は議長が散会を宣告せられぬことを希望致します。
寺内陸相はこう答えた。
私は只今濱田君が言はれたやうなことを申しては居りませぬ。速記録を能く御覧下さいまし……。侮辱するが如く聞える所の言辞は、却て濱田君の言はれる国民一致の精神を害するから御忠告を申したのであります。どうぞ速記録を御覧下さいましてお願致します。
濱田議員はさらに追及した。
あなたはそんな無責任な、侮辱したことを言うたと最初に言うて置いて、今度は侮辱に当るやうな疑のあると云ふ所までぼけて来た。何処が其処に当るのだと御尋申しても、是が当ると云ふことを言はれないのは―日本の武士と云ふものは古来名誉を尊重します。士道を重んずるものである。民間市井のならず者のやうに、論拠もなく、事実もなくして人の不名誉を断ずることが出来るか。(拍手)是れ以上は登壇することが出来ない。速記録を調べて僕が軍隊を侮辱した言葉があったら割腹して君に謝する。(「ヒヤ/\」拍手)なかったら君割腹せよ。(拍手)
もはや寺内陸相は、こう答えるのが精一杯だった。
只今私が前言と違ったことを申したやうに申されましたが、能く速記録を御覧下さいまして、御願を致します。
これが帝国議会屈指の名場面「腹切り問答」である。昭和12年といえば日中戦争が勃発し、時流におもねる議員が多くなり、いよいよ議会は力を失ってゆく。そんな時代にあって濱田國松は、国民の代表としての矜持を保った政党政治家であった。
さて、not my presidentの呼び声高いトランプ次期大統領である。彼は「自分が(第二次大戦の)当時にいたら、日系アメリカ人収容を支持していたかもしれない」と、選挙運動中に発言したという。イスラム教徒の入国管理を念頭に置いたものだ。
地球温暖化をも否定するトランプ氏について、国連の潘基文事務総長は、「彼もいずれ現実を理解せざるを得ない。就任後は賢明な判断をするだろう」とコメントしている。
ならば、政治家の言葉の重みは何なのだ。大統領の地位を手に入れる手段だというのか。所詮、アメリカもこの程度なら、世界の理性と良心は何処にあるのか。安倍首相は世界に先駆けてトランプ詣でをして、彼の何を信頼したというのか。
もはや世界にリーダーはいない。イアン・ブレマーのいう「Gゼロ」の時代に突入したようだ。それでも、理性と良心を保つリーダーを強いてお求めなら、私はドイツのメルケル首相をお勧めしたい。
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