大坂冬の陣の結果、大坂城は外堀だけでなく内堀まで埋められ、丸裸にされた。これに対して、主戦派でコワい目つきの大野治房が、牢人たちを使って堀を再び掘り返し始める。大河『真田丸』も、いよいよクライマックスだ。演じているのは、キックボクシングで活躍した武田幸三で、存在感抜群である。
大坂の陣に勝利した徳川氏。日本史上最長の平和を創出することとなる。その中心となったのが、江戸城である。
新四谷見附橋から北に向かって撮影している。写真に写るあたりは千代田区六番町で、すぐ左手は新宿区になる。ここは国指定史跡「江戸城外堀跡(四谷門地区)」。四谷見附、江戸城の搦手に位置する要衝である。
橋の下にJR中央線四ツ谷駅があることから分かるように、線路が周囲の土地よりも低いところにある。外堀が埋められ、その上を電車が走り、さらにその上を人や車が通行する。
線路の部分を水面に置き換えると、堀らしいものが想像できる。説明板を読んでみよう。
牛込(飯田橋駅)から赤坂(赤坂見附)へ続く江戸城外堀は、寛永13年(1636)に仙台藩伊達家をはじめとする東国52家の大名により開削されました。この外堀普請は、約30年にわたる江戸城建設を締めくくる大規模なもので、外堀予定地やその周辺の多くの寺院や町屋が移転しました。
江戸城の外堀が埋められたのは、戊辰戦争に敗れたからではない。明治27年に甲武鉄道の新宿・牛込間が開業した時には、外堀の土手を削って鉄路が敷かれた。この時にはまだ、堀に水が湛えられていた。ところが、大正12年に発生した関東大震災の復興事業に伴い、大量の瓦礫が持ち込まれ、昭和の初めころには空堀となったらしい。
伊達家をはじめとする大名が開削して江戸城を防御した外堀は、関東大震災によって埋め立てられ、現在は交通の大動脈として機能している。千代田区と港区、新宿区では、江戸城外堀が完成して400年を迎える2036(平成48)年までに、史跡指定の長さ4キロにわたる外堀の整備を進めていくという。
埋め立てられた場所の一部は、かつての景観を顕在化させる計画だ。つまり掘り返すということだろう。大坂の陣における埋め堀の掘り返しとは異なり、文化財の保護として平和のうちに実施される。
いや油断は禁物だ。もしかすると、東京五輪の会場見直し問題で、老獪な森喜朗会長率いる大会組織委員会が、小池都政の外堀を埋めているのではあるまいか。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。