新聞のトップ記事が、平成は30年までだと報じている。天皇陛下の退位を巡る意思表明は、改めて日本の社会と政治の在り方を考える契機となった。一つは加齢と行動の問題、もう一つは天皇と政治の関係である。
今月5日に、75歳以上を「高齢者」、65歳以上は「准高齢者」とすべきとの提言を、医師や学者らの学会が発表した。准惑星とか准教授とか「准」のつく用語が増えているが、私は若いお年寄りは「若年寄」、長寿のお年寄りを「大老」と呼べばよいと思う。陛下御退位の後は「上皇」と呼称する方向で調整されていると聞くから、これに合わせた歴史用語の復権である。
冗談はさておき、高齢者ドライバーの事故が相次いでいるように、加齢に伴う注意力や記憶力の低下は避けることができない。陛下でさえ儀式における自らのミスに言及しておられるくらいで、加速度的に高齢化の進む日本社会では、その対策は喫緊の課題と言える。
運転免許の自主返納の呼びかけが行われ、返納で各種割引が受けられるサービスが始まっている。3月施行の改正道交法では、75歳以上の運転者への対策が厳しくなるそうだ。「もうええわ」と返納する人も増えるだろう。
運転免許なら返納ができるが、御年83歳の陛下の皇位は返納できないのである。それでは気の毒と、政府で特別立法が検討されているが、保守派の論客の中には、退位を認めず摂政を置けばよいと主張する向きもある。
天皇陛下万歳の保守派なら「承詔必謹(詔を承れば必ず謹め)」だろうから、天皇が退位を希望すれば、「仰せのとおりに」と平伏するのかと思えば、退位を認めないというのだ。
しかし考えてみれば、民主主義は王権を制限することから始まった。国王が恣意的に課税できないように議会の承認を必要とするとか、憲法の定める範囲内で政治的権能を有するとか、国王個人の意思に左右されることなく、安定した国家運営を行おうとするものである。
とすれば、今回陛下の御意思によって退位の準備が始まっているが、それは民主主義としてどうなの?という疑問が生じる。陛下が「おことば」で「平成30年」と言及されたから、次の年の元旦から新元号とするというが、天皇の国事行為に助言と承認を行う内閣が、逆に天皇に助言されている。「陛下が言われるんだから、仕方ないじゃん」という姿勢は、陛下に責任を負わせることにならないか。
陛下が加齢を理由に退位の意向をお示しになったことは、大多数の国民の共感を得ている。しかし、仮に政治にご不満でということであればどうだろうか。国論は二分され、民主主義の根幹が揺るがされることとなろう。
そもそも、陛下は急に思いついて退位に言及されているのではないのだから、国民的な話題になる以前に、政府は陛下の意のある所を汲んで検討を始め、政府提案の形で国民に示すべきであったろう。それが責任ある政府というものだ。天皇陛下を政治から切り離すことは、我々の民主主義を守ると同時に、天皇の尊厳を守ることでもあるのだ。
陛下のお気持ちに国民が共感を寄せているのは、決して日本の国民性ではない。ひとえに天皇皇后両陛下が、国民に寄り添う姿勢を続けてこられた二十数年間の努力の賜物である。戦没者の慰霊、被災者へのお見舞い、さらには地方産業の御視察。その真摯な姿勢に、国民は敬意を表しているのだ。今日は、御即位の年に両陛下の行幸啓があった場所を紹介しよう。
呉市川尻町西一丁目の旧川尻町役場の隣に「行幸啓記念碑」がある。本ブログでも明治天皇の聖蹟は「明治天皇のお昼休み」などで紹介したことがある。
この行幸啓は、明治大正昭和のいずれの天皇でもなく、今上陛下と皇后陛下によるものである。石碑には「平成元年九月十一日」と刻まれているが、両陛下は第9回全国豊かな海づくり大会にご出席のため、前々日の9日に赤坂御所を発たれ広島入りしていた。
副碑には次のように記されている。
川尻町は天皇皇后両陛下に平成元年九月十一日、川尻中学校体育館で伝統の筆づくりをご覧いただきました。職人五十一人が筆づくりの実演を行い坪川町長が説明をしました。両陛下は筆職人全員にお声をかけられました。全町民が一致協力し、町内外八千人余りの人がお迎えしました。
筆といえば、なでしこジャパンに贈られた化粧筆の「熊野筆」のほうが有名だが、「川尻筆」も江戸時代末期から続く高級筆で、平成16年に「伝統的工芸品」に指定されている。
呉市川尻町森二丁目の坪川毛筆刷毛製作所は、「月の浦筆」のブランドで知られている。創業者の坪内蔵之助は平成元年当時の川尻町長で、両陛下のご案内役を務めた。
両陛下は皇太子時代から積極的に国民と交流されていたが、御即位の後も変わらず続けられている。川尻の記念碑は、町の栄誉を表しているだけでなく、国民と共に歩む象徴天皇としての在り方を示しているのである。
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