私が子どもの頃に播竜山(ばんりゅうやま)というシブい力士がいた。一度だけ敢闘賞をもらったことがあるが、それほど強いわけではない。しかし、幕下まで落ちても再び十両、幕内へと返り咲くなど、努力の人であった。その播竜山は現在、待乳山(まつちやま)親方として後進の指導に当たっている。
待乳山は江戸時代からの年寄名跡で、今の親方で12代目となる。この「まつちやま」には、どのような由来があるのだろうか。
橋本市古佐田一丁目の橋本駅(JR・南海)に「万葉歌碑」がある。平成12年(2000)に建立された。これは明治33年(1900)に今のJR和歌山線が全線開通してから百年を記念したものである。
二つの石碑にたくさんの文字が刻まれているが、万葉歌は向かって左側の石の左側の部分にある。読んでみよう。
白栲(しろたへ)に にほふ信土(まつち)の 山川(やまかは)に わが馬なづむ 家恋ふらしも
-作者未詳-(万葉集巻七-一一九二)
右側の石に意味が記されている。
信土山の川(落合川)で、私の乗る馬が難渋している。家人が私を心配しているらしい。
落合川は金剛山系から紀ノ川に流れ、和歌山と奈良の県境となっており、その両岸の丘陵地帯が「まつちやま」と呼ばれていたそうだ。歌では「信土山」だが、「真土山」と書くのが一般的だ。
歌碑で万葉学者の犬養孝が、「飛び越え石」という一対の岩を紹介している。真土山を流れる落合川にあり、岩から岩へポンと飛び越えるだけで、紀伊から大和へ行けるという。
谷を下って現れた川を前に馬が戸惑っている。その様子から私は家族のことを思った。無事に旅をしているだろうかと、きっと私のことを心配している。だって、こんな岩を渡っているのだから。
真土とは、耕作に適した良質の土を指すから、黒っぽい色だ。そこを流れる落合川は、ひときわ白く輝いて見える。色彩の鮮やかな対比、立ちすくむ馬に、家族を思う私。旅情あふれる秀歌である。
落合川の右岸は和歌山県であり、地名は橋本市隅田町(すだちょう)真土(まつち)という。橋本市に合併する前は隅田町といい、中世には隅田荘(すだのしょう)があった。銅鏡で有名な隅田八幡宮がある。
同じ「隅田」と書いて「すみだ」と読むのは、東京の隅田川である。浅草にはたくさんのお寺があるが、隅田河畔に「待乳山(まつちやま)聖天(しょうでん)」と呼ばれる本龍院がある。ここがなぜ「まつちやま」と呼ばれるのか。先月発行の寺報「いちょう」には、『南無観世音金竜山縁起正伝』をもとに、次のような記述がある。
「待乳山(まつちやま)を真土(まつち)と書くは此辺(このあたり)四隣(しりん)泥海(どろうみ)にて唯(ただ)此地(このち)のみ真土(まつち)なりしに因(よ)ると。」
古い書物や浮世絵には、よく「真土山」と記されていることがよくあります。おそらく隅田河口の干潟とか沼地のような場所であったのでしょう。その中で隆起した当山だけが、海水に浸されていない土であったので「真土」ともよばれていたのでしょう。
東京湾の成り立ちに照らせば、なかなかの説得力がある。待乳山は真土山とも書き、読みはともに「まつちやま」。隅田川の待乳山と隅田町の真土山。これは偶然の符合なのだろうか。もっとも親方の名前は、待乳山聖天に由来するだろうが。
歌碑の前でいろいろと考えを巡らせるのだが、隣の変わったサンタクロースが視界に入り、どうにも気が散ってしかたない。
もっとも、訪れたのが12月だから、サンタがいて不思議ない。それにしても、この顔には見覚えがある。しかも「グワシ」の指サインをしている。なんと、あの「まことちゃん」ではないか。ということは、橋本市は楳図かずおの出身地なのか。山陰本線の由良駅に「コナン」がいるのと同じだろう。
調べると、それは間違いだった。楳図かずおは同じ和歌山県の高野町の出身で、長く住んだのは奈良県五條市である。ならば「まことちゃん」を求めて奈良県に向かおう。「飛び越え石」を飛び越えて奈良県入りしたなら、万葉歌とつながっていいのだが、私はJR和歌山線に乗り五条駅に降りた。
五條市須恵一丁目、和歌山側から見て五条駅のすぐ手前の岡口踏切に「まことちゃん地蔵」がある。
楳図カラーのストライプが眩しい。このコミカルな、いやコミックそのままの地蔵は、観光スポットとして認知され、QRコードともに次のように説明されている。
ハウスに置かれたフィギュアが「まことちゃん地蔵」。看板には「まことちゃんを拝むと、お寝小が治るのら~」とあり、遊び心のある‘地蔵’となっています。
橋本駅前のまことちゃん像は、季節感を醸し出すオブジェとして活躍し、五條のそれは、礼拝する人にご利益を授けてくれるという。ゆるキャラが各地で流行っているが、まことちゃんのような本格派が活躍してくれるのは、昭和五十年代に十代を過ごした私にとって無上の喜びだ。
和歌山と奈良の県境、すなわち大和街道に貫かれる紀和国境は、古代の万葉ロマンだけでなく、現代のギャグロマンも味わうことができる、一粒で二度おいしいスポットなのら~。
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