話が通じない人は世の中に少なからずいるのが現実だが、政治や教育においては「話せばわかる」が基本原則でなくてはならない。言論の府が国会であり、言語能力を学校で身に付ける。国会でも学校でも、暴力は徹底的に排除しなくてはならない。人は「話せばわかる」のだから。
ところが、近ごろ話題の国有地売却問題では、「話さなくてもわかる」人たちが活躍したようだ。首相夫妻の影がちらつくだけで「わかってしまう」人、忖度(そんたく)の得意なザイムソンタ君である。
岡山市北区川入の「犬養木堂生家」に、「犬養木堂翁生誕之地」と刻まれた石碑がある。
昭和7年の五・一五事件で「話せばわかる」の言葉を残して亡くなった首相、犬養毅は、安政二年(1855)にこの家に生まれた。昭和6年の暮れに首相の座に就いた老練な政治家は、翁と呼ぶにふさわしい風貌をしている。
このブログでも「『話せば分かる』憲政の神様」で、護憲運動の盛り上がりの様子を紹介したことがある。木堂翁の「話せばわかる」は建前でも口先でもなく、政治家人生そのものであった。『犬養木堂氏大演説集』(大日本雄弁会)に収録されている大正9年の演説要旨「帝国の危機」では、政党政治家らしく次のように述べている。
最早や藩閥、軍閥、官僚と云ふものは疾くに滅びてしまって、今は独り政党が政権を握って居る。政党でなければ政治ができない。然らば此政党なるものは完全かと云ふと完全でない。諸君は必ず同様に感ぜられるであらう。政党内閣は如何なることを為して居るか、党員の慾心を満足させる為めに、如何なる悪事を為して居るか。或は某取引所を設けるとか、某開拓会社を設けるとか、種々雑多な利権を振り撒けばこそ党員が集合して居るのではないか。(拍手)
これは百年近く前の演説である。これが古めかしく聞こえないのは、犬養の考え方が先進的というより、政治と利権の構造が何ら変わっていないからだろう。「某小学校を開設するとか」利権を得ようと政治家に近付く人がいて、政治家の意を汲んで動く役人がいるのである。
大正9年において犬養が「とっくに滅びた」と言っていた三つのうち、藩閥は確かに消え去った。軍閥は復活して我が国の針路を誤らせた後に消滅した。ところが官僚はますます強くなっている。官僚はいったいどこを見て仕事をしているのか。政治家なのか国民なのか。何を読んで仕事をしているのか。法令なのかと思ったら空気だったりして。
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