動物園は生涯に三度行くと言われる。最初は親の手を握って、次に恋人と手をつないで、そして子どもの手を引いて行くのである。動物園デートはないが、親子ペアでは確かに行った。最初は子として、次に親として。
香川県小豆郡小豆島町蒲生に「小豆島大孔雀園」があった。行ったのが平成17年だから、当時は合併前で池田町と呼ばれていた。
いつだったか覚えてないが、子どもの頃に確かに孔雀園に行った。そんな写真を見た。母親の趣味なのだろう、お坊ちゃんのような恰好をしていた。昭和45年の開業というから、それから間もない頃だと思う。
親に手を引かれて行った頃から、ずいぶんの歳月を経て昔を思い出し、子どもの手を引いて行ってみることにした。子どもも喜んだが私も嬉しくなって、お土産にクジャクの羽根を買った。
全長1mを超える長いお土産で、買ったのはいいが、結局もてあまして置きっぱなしになった。色褪せたラベルには「世界に誇る小豆島大孔雀園」とある。ただ、みうらじゅんの言う「いやげ物」の類でないことは確かで、孔雀園ならではの商品であり、キジ科クジャク属インドクジャクの価値ある資料でもある。
行ってから3年ほど経った平成20年に、孔雀園は閉園となった。孔雀園というのは全国でも数少ない。貴重な施設に生涯二度も行けたのは幸運だった。平成17年当時の香川県の観光パンフ『Besuka!(ベスカ)』には、次のように紹介されている。
ここは、瀬戸内海の絶景を望む飛岬にある民間経営の“孔雀園”、千羽のクジャクが乱舞し、日本最大規模、東洋一といわれている。優雅に羽を広げて求愛する姿も美しいクジャクの楽園で、オリーブや椰子の木に囲まれて、のびのびと暮らすクジャクの姿を楽しむことができる。
ここで注目したいのは「東洋一」である。日本一でも世界一でもなく、東洋一などである。これには、日本一だけでなく中国や韓国にも、あるいはシンガポールにも負けてないぞ、という誇りが込められている。しかし、アメリカやイギリス、フランスにはもっと凄いのがあるかもしれません、という自信のなさも垣間見える。
そんな東洋一を研究した本に、藤井青銅『東洋一の本』(小学館、平成17)がある。たくさんの事例が紹介されているが、「東洋一」という謳い文句は多くの場合「すごいんだぞ」という意味合いであって、厳密に検証されたものではない。しかも、アフリカやオセアニアは東洋なのか西洋なのか。東洋の範囲は定まっていると言えないのだ。
小豆島大孔雀園は何が東洋一なのだろう。クジャクの数なのか敷地面積、それとも入場者数なのか。「東洋一といわれている」という伝聞情報に基づいているのも心許ない。ホントに東洋一なのか?
だが、やはり私は、あの孔雀園は東洋一だと思う。見よ、羽根を広げたクジャクの雄姿を。この色彩の乱舞を東洋一と言わずして何と言おう。私は東洋一の孔雀園を二度も訪れたことを誇りに思う。
先月12日に上野動物園でパンダの赤ちゃんが生まれ、大ニュースになった。上野にパンダがやって来たのが昭和47年。孔雀園の開業とさほど変わらない時期だ。クジャクを見ようという人が減って孔雀園は閉園したが、パンダの人気は衰えることを知らない。華麗さではクジャクの勝ちだと思うが、なぜなのか。
「人寄せパンダ」と言われるだけに、パンダは抜群の集客力を誇る。その理由は、人間はドラえもんやどこかのゆるキャラのような2~3頭身のものをカワイイと感じるから、だそうだ。幼児を可愛がる気持ちと同じなのだ。
それに比べるとクジャクは分が悪い。頭は小さいし、ふわふわ感もない。動物は見た目が100%とは、あまりにも悲しい現実ではないか。せめて、東洋一の孔雀園だったと、いついつまでも語り伝えたいものである。
ご覧いただきありがとうございます。
孔雀園は家族で楽しむのに、ちょうどよい場所でしたね。戻らない思い出を大切にしようと思います。
投稿情報: 玉山 | 2021/03/26 21:46
今から40年前にもなりますかね。
亡き母と甥と三人で孔雀園に行った事懐かしく思いだしました。
沢山の孔雀が舞い降りる様は、圧巻でした。とても美しく感動しました。
残念です。閉館したんですね。
投稿情報: 小熊のモモ | 2021/03/25 21:15