日本の三大神さまは、お稲荷さんと八幡さんと天神さんである。人生には神様への頼みごとが多いが、仕事系はお稲荷さんへ、スポーツ系は八幡さんへ、文化系は天神さんにお願いするとよい。本日はグラチャンバレー女子が行われていることもあり、八幡さんについて語ることにしよう。
観音寺市八幡町一丁目の琴弾八幡宮の参道に「木乃鳥居」がある。
木製の鳥居が珍しいわけではないだろう。覆屋が設けられ保護されている。日本最古の木造鳥居なら、山梨市の大井俣窪八幡神社にあると聞いた。天文四年(1535)だという。「木乃鳥居」には、どのようないわれがあるのか。説明板を読んでみよう。
元暦二年(一一八五)義経屋島合戦勝利後平家追討を祈願して奉納
端的で分かりやすい。そのまま信じるなら、こちらの方が日本最古だ。読売新聞高松支局『源平の舞台はいま』美巧社は、次のような宮司さんの言葉を紹介している。
「義経が今の室本町の九十九(つくも)山から榊(さかき)を切ってつくらせ、平家との最後の決戦を前に、戦勝の<願文>とともに奉納したということです」
義経が屋島の戦いに勝利したのが2月19日、最終決戦となった壇ノ浦が3月24日である。この一か月ほどの間に鳥居は奉納されたようだ。もとより義経の戦いはスポーツではないが、勝利を祈願したのは間違いない。この頃の義経の動きについて、『源平の舞台はいま』には、次のような記述がある。
「平家を討ち倒すには海戦しかない」と考えた義経は、各地の水軍に支援を求め、約二十日間、彼らが到着するのをじっと待った。その間、陣を置いたのが琴弾八幡神社を中心に琴弾山から財田川口にかけてだったといわれている。
琴弾八幡宮は源氏ゆかりの宮である。永承六年(1051)、前九年の役で源頼義が代参により願文を納めた。延久五年(1073)、源義光が神馬と馬具を奉納した。嘉保二年(1095)、源義家が本殿を改修・寄進した。義経の鳥居奉納も、たまたま滞在していたから、ではなさそうだ。
源氏の歴代が八幡宮を崇敬したのは、御祭神が応神天皇、つまり弓矢の神である八幡神だからだ。特に、ここ琴弾八幡宮は、八幡神が降臨した霊地なのである。
八幡宮のふもとに「問答石」があり、由来が次のように説明されている。
当宮所蔵の縁起(応永二三年藤原実秋之を録し将軍足利義持自ら花押と記す)によれば大宝の昔宇佐大神此地に来りしを山僧日証この石に倚り船中なる大神と問答せし所と伝う。
この縁起によれば、大宝三年(703)3月21日に八幡神が船でやってきて、「ここに鎮座したい」と言った。琴弾山の日証上人が「ほんまかいな。神さんやったら奇跡を起こしてみなはれ」と言うと、翌日、海が竹林となり干潟は松林となった。これに驚いた上人は、船を山に引き上げて祀ったのだという。
これは強力なパワースポットだ。義経が鳥居を奉納した気持ちも分かる。実際に壇ノ浦で大勝利できたのだから、霊験あらたかなること疑いなしである。本日のグラチャンバレー女子“火の鳥NIPPON”はブラジルに30年ぶりに連勝した。中田久美監督の現役時代以来の快挙である。荒木選手の鋭角スパイクも凄ワザ。八幡さんはやはり日本に降りてきた!
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