新ローマ教皇にレオ14世(第267代)が選出された。これまで13人のレオ様がいらしたのだが、世界史に名高いのは大教皇レオ1世Leo Magnus(第45代)であろう。フン族の大王アッティラと会見し、そのローマ侵攻を防いだのである。
レオ2世(第80代)は教会音楽の発展に尽くした。レオ3世(第96代)はカールの戴冠を行ったことで有名。レオ4世(第103代)はヴァチカン宮殿ラファエロの間にある「ボルゴの火災」に描かれている。十字を切って祝福を与えたところ鎮火したという。
レオ5世(第118代)は短期間で対立教皇によって廃位された。レオ6世(第123代)も短期間で殺害された。レオ7世(第126代)はローマ貴族の傀儡であった。レオ8世(第131代)は神聖ローマ皇帝オットー1世の後ろ盾で教皇の地位を保つことができた。10世紀の教皇の立場は弱かったようだ。
レオ9世(第152代)は東西協会の分裂(大シスマ、1054)を決定的にした教皇である。レオ10世(第217代)はドイツでの贖宥状販売を認め、ツターによる宗教改革のきっかけをつくった。レオ11世(第232代)はメディチ家出身だったが、ひと月足らずで亡くなった。
レオ12世(第252代)は1820年代の自由主義の台頭を抑えようとした保守派である。レオ13世(第256代)は労働者の権利を擁護する回勅を発表した。
こうして振り返ると、今日的にはレオ1世と13世の政治的評価が高いように思える。14世もその辺りを念頭に置かれたのかもしれない。レオ1世は「人は慈悲の心をもって施しをしなければ、徳のあるよい生き方をしていると自ら信じることはできません。」と説教したという。
慈悲と言えば仏教も同じ。世界宗教は普遍的価値を説いている。慈悲の精神を徹底すると、魚獲りは罪深いことになる。それゆえ、日本最大の「浮島十三重石塔」には漁具が埋められたという。
赤磐市石蓮寺に「石造十三重層塔」がある。ここは山の上で魚獲りの場所でないが、何らかの慈悲の精神が込められていることだろう。
すーっと空に伸びて、見るほどに美しい。石造美術として価値が高く、県の文化財に指定されている。説明板を読んでみよう。
石造十三重層塔
製作年代 鎌倉時代
総高 六・五二メートル
県指定石造美術(昭和三十四年)
僧報恩開基の備前四十八寺の内の一寺院、平満山石蓮寺伽藍の空の坊に建立している。
鎌倉時代の花崗岩製の層塔では、県下最大である。
塔身の四方に舟形を彫って、金剛界の四仏が半肉彫にしてある。
赤磐市教育委員会
「浮島十三重石塔」と同じように鎌倉時代の建立であった。当時この地では平満山石蓮寺が栄えており、今も坊跡は二十か所を数えるという。うち空の坊にあるのがこの石塔だ。塔身にレリーフされているのは金剛界の四仏で、北に阿閦(あしゅく)、南に宝生、西に阿弥陀、北に不空成就が配置されている。写真は西の阿弥陀如来である。
八十八箇所霊場は本場四国に限らず、全国に設けられている。ここ石蓮寺には赤磐八十八箇所霊場第47番札所の大師堂がある。
その裏に巨大な岩があり、次のように説明されている。
蓮華岩
空の坊に建立している十三重層塔(県指定)の用材が採取された跡である。残った岩が蓮の花弁とみえるようにひび割れが出来たところから蓮華岩といわれ、石蓮寺の地名の起こりと言い伝えられた。
石蓮寺(天台宗)が廃寺(寛文四年一六六四)となってから集落の人々の宗旨が真言宗を唱えたために岩に南無大師と刻み大師堂が建立された。
赤磐市教育委員会
確かに東大寺大仏の蓮弁を思わせる。十三重石塔の採石地であり石蓮寺地名由来の地という重要な場所である。
上の日吉神社の前に「石蓮寺金堂跡の礎石」がある。
金堂は御本尊が置かれる重要な建物で、今の寺院では本堂に相当する。石は2個しか見当たらないが…。説明板を読んでみよう。
赤磐市指定文化財
金堂跡の礎石(石蓮寺遺跡五)
平満山石蓮寺(へいまんざんしゃくれんじ)は、僧報恩が建立した備前四十八ヵ寺の一つであり、天平勝宝年間の開基と伝えられる。江戸時代(寛文年間)に廃寺となっている。
この礎石は、伽藍があった頃、その中心となっていた金堂の礎石と思われる。現在、自然石を利用した約九〇センチの礎石二基が現位置をとどめて残っている。柱間は二、一メートルで、およそ七尺である。
石造十三重層塔とともに石蓮寺の往時の隆盛を物語る史跡である。
昭和四十八年二月指定
赤磐市教育委員会
ここにあった平満山石蓮寺は、報恩大師開基の備前四十八カ寺という由緒を誇る。廃寺となった寛文年間は、岡山藩の池田光政が寺院整理を進めていた頃だ。不受布施派に関係していたのだろうか。光政公は名君であったが、宗教政策には寛容さが感じられない。やはりここは慈悲の心が一番かと…。
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