よく知られていることだが、秀吉の出世は、妻ねねのおかげである。大河ドラマでは、天下人だとエラそうにする秀吉も、ねねだけには頭が上がらないシーンが面白く描かれる。戦国の妻としては、お市の方や「利家とまつ」の芳春院も有名だ。今回は平成18年の「功名が辻」の主役、仲間由紀恵が演じた千代、山内一豊の妻の話である。
郡上市八幡町柳町に「山内一豊と妻の像」がある。
像主は「一豊と妻」であって、「馬」ではない。しかし、この夫婦は馬なくして語ることができない。有名なエピソードを紹介しよう。山内一豊が織田信長に仕えていた時のこと。東国から駿馬を売る商人が安土にやってきた。確かに武士垂涎の馬であるが、その値、黄金十両。一豊にはとうてい買える値段ではなかった。そこへ妻・千代が…。『常山紀談』81「山内一豊馬を買はれし事」より
妻聞きてさほどに思ひ給はんには其の馬求め給へ。其の料をばまゐらすべしとて、鏡の奩(す)の底よりとり出だして一豊が前にさし置きたり。一豊大きにおどろき、此の年ごろ身貧しくて苦しき事のみ多かりしに、此の金ありともしらせたまはず。心強くも包み給ひけん。今此の馬得べしとは思ひもよらざりきと、且つは悦び且つは恨む。
千代は一豊の嘆きを聞いて、「それほどまでに思われるなら、その馬をお求めなさいまし。その費用を差し上げましょう」と、鏡の箱の底から黄金十枚を取り出して一豊の前に置いた。一豊は大変驚き、「ここんとこ貧しく苦しいことばかりだったのに、こんな金があるとも教えてくれないなんて。こいつぅ。よく隠しておいたな。この馬が手に入るなんて、思いもしなかったよ」と悲喜こもごもであった。
こうして駿馬を手に入れた一豊は、京での馬揃えに参加した。信長は「あっぱれじゃ。東国の商人に商売にならぬと思われるのは織田家の恥辱と気がかりであったが、一豊、よくぞ買い求めた。そちのおかげじゃ」とほめたたえ、これ以後、出世していくこととなる。やはり持つべきものは、賢夫人(けんぷじん)である。
いや、持つべきものは金だとも言えよう。賢くても先立つものがなければ、才能が発揮できぬ。千代の持っていた黄金十枚は、彼女の父が持たせていたものであった。では、その父とは誰なのか。
通説では、千代は浅井家配下の若宮友興(わかみやともおき)の娘だとされ、米原市飯(い)の「若宮氏館跡」が生誕の地だとされる。だが、これに異を唱えているのが郡上市である。銅像の説明板には、次のように記されている。
NHK大河ドラマでも取り上げられた山内一豊夫人千代は、ドラマの中では原作に従って近江の出身と描かれましたが、郡上には「初代八幡城主遠藤盛数の娘が山内対馬守室(一豊の妻)とする系図が各所に残されてきました。近年には郡上説を裏付ける高知県からの家系図、陣立図などの史料も発見されています。
また、昭和六十年には市民の有志によって「山内一豊夫人顕彰会」が設立され、この銅像を建立したほか、毎年八月には千代の遺徳を偲んで銅像前で法要を行い、郡上おどりを踊っています。千代は私たち市民の誇りであり、没後四百年を経た今でも私たちの中に生きています。(後略)
平成十八年一月郡上市観光連盟
銅像の向こうに八幡城天守が見える。この城を築いた遠藤盛数(えんどうもりかず)が、千代の父だというのだ。黄金十枚を持たせたのは、若宮友興か遠藤盛数か。いずれにしろ、よくできた娘を育てたことは確かだ。育てたように子は育つ。立派な父だったに違いない。
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