『源氏物語』が「世界最古の長編小説」だとか「世界三大古典」だとか言われるが、多分に自画自賛の修飾だろう。それでも、千年以上にわたり人々を魅了し続け、近代からは与謝野源氏、谷崎源氏、円地源氏と続き、今も窯変源氏だとか謹訳源氏などと、とどまることを知らない。やはり、我が国が世界に誇りうる文学作品であろう。
神戸市須磨区須磨寺町1丁目の現光寺前に「源氏寺碑」がある。平成6年の建立である。
この寺は光源氏が「わび住まいをしていたところ」だと伝えられるが、もとより架空の設定であり、実在の源某という人物がここに暮らしていたわけではない。須磨は『源氏物語』の舞台になっていることから、光源氏が寂しく暮らしたのは、このような場所であったろうか、と後世の人が想像を膨らませたのだ。現代アニメの聖地のように。
では、紫式部は光源氏がわび住まいした場所をどのように描写しているのだろうか。石碑の裏には第12帖「須磨」の一節が、次のように刻まれている。
おはすべき所は行平の中納言の
藻潮たれつゝわびける家居近き
わたりなりけり 海面はやゝ入りて
あはれにすごげなる山なかなり
お住まいになる所は、中納言・在原行平が「わくらばに問ふ人あらば須磨の浦にもしほたれつつわぶと答へよ」と詠んだ住まいの近くである。海岸からは少し入った場所で、寂しさをしみじみと感じる山の中である。
もし私のことを尋ねる人がいましたなら、須磨の浦で海藻にかける潮水ならぬ涙を流しながら、侘しい暮らしをしているとお答えください。行平はある事件によって須磨で謹慎していたというが、光源氏もまた同じ境遇だと書いているのだ。
行平はその後、京に戻って中納言まで出世する。光源氏もまた都に復帰し、子が帝に即位するなど栄華を極める。これで、めでたしめでたしと終わらないところが物語の魅力だが、ここでは触れない。
少し前に加計問題で、文科省前事務次官が「あったことをなかったことにすることはできない」と主張したが、本日は「なかったことをあったことにした」場所を紹介した。光源氏の住居跡などあるはずもないが、想像を逞しゅうして、物語の世界を楽しみたい。光源氏について問う人あらば、やはり「わぶ」と答えようと思う。
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