映画『超高速!参勤交代』が明らかにしたように、田舎道ではさっさと先を急ぐ大名行列であったが、宿場町に入ると威儀を正して進んでいた。大名の誇りと意地をかけた行列だったのだ。
かつて宿場町として栄えた地域では、今も大名行列は祭りの華だ。山陽道の宿場町、矢掛では、毎年11月の第2日曜日に大名行列が再現されている。姫君や奥方、腰元など女性が絢爛豪華さを演出しているが、実際には女性は江戸住まいのため、男性だらけの行列だったはずだ。本日は、西国大名の定宿として知られる矢掛宿をレポートする。
岡山県小田郡矢掛町矢掛に「旧矢掛本陣石井家住宅」がある。国指定重要文化財である。写真奥は京方面となる。
矢掛宿には、長州藩、広島藩、唐津藩、平戸藩、薩摩藩など、多くの大名が宿泊した記録が残っているが、なかでも注目したいのが、嘉永六年(1853)9月17日の篤姫一行の宿泊である。石井家当主が記録した「宿方御休泊留」には、次のように記されている。
中将様御娘也、 御登
一 薩州御姫君様 御泊
御拝領銀三枚
右者神辺七日市発、八つ時頃御着被遊候、
一 此度京九重様江一応被為入、夫より直に
西ノ御丸様江御縁二御入被為遊候儀也、
一 殊ノ外 御リツハに御通行被為遊候、出し
もの、大造之御事也、
中将様(島津斉彬)の養女である御姫君様(篤姫)が、さらに京九重様(近衛忠煕)の養女となり、西ノ御丸様(徳川家定)に嫁いでいくことが記されている。行列はたいそう立派だったと感心している。
大河『西郷どん』では、篤姫を北川景子が演じている。あのように美しい姫様と女中たちの御一行だから、いつもの大名行列とは異なる華やぎがあったにちがいない。
岡山県小田郡矢掛町矢掛に「旧矢掛脇本陣高草家住宅」がある。やはり国指定重要文化財である。写真奥は下関方面となる。本陣、脇本陣ともに国の重文に指定されているのは、全国でも矢掛宿だけだそうだ。
次に庶民の旅を紹介しよう。旅行記のベストセラー作家、十返舎一九の作品『方言修行(むだしゅぎょう)金草鞋(かねのわらじ)二六編』に矢掛宿が登場する。読んでみよう。吉村睦翻刻『十返舎一九が記した岡山』(岡山文庫304)より
それより小田村・ろくたん村、茶屋あり。矢掛川徒(かち)にて渡り、矢掛宿に至る。この所商人皆瓦葺き蔵造り多く、茶屋・旅籠屋多く、スズヤリンスケという方に泊まる。
梓弓 矢掛の宿に 馳せ着きて 銑屋を的に 泊まりこそすれ
「私、御本陣でござります。お向かいに参りました」「貴様、本陣か。随分御馳走丁寧にさっしゃい。お座敷へ給仕には若い女子が良い。狆(ちん)・猫・婆、決して出すまいぞ」「ありがとうございます。その代わり、田舎のことなれば、何も御馳走はできませぬが、私の采(さい)が余程愛しうござります。それを御覧に入れませう」
若い女がいいなどと、なかなか贅沢なことをぬかしているが、「私のてきぱきとした采配を御覧に入れましょう」とやり返されている。私は古民家を再生した「矢掛屋」で昼食をいただいたが、スタッフの方の丁寧な応対で快適な時間を過ごすことができた。おもてなしの技能は、一九の時代からハイレベルだったのである。燗酒も美味かったことを申し添えておく。
矢掛のお土産にぜひお勧めなのは、銘菓「柚べし」で有名な佐藤玉雲堂だ。いわゆる「うなぎの寝床」という細長い屋敷は昔のままである。私は黄色の鮮やかな「柚子ようかん」を買った。風味豊かで、食べると無くなる、食べないと味わえない、というジレンマに陥るくらい美味しい。
篤姫は出発の朝、矢掛の柚べしを百本以上お買い上げになったということだ。おそらく、お供の者らにも振る舞ったのだろう。腹が空いたあまり、次の宿場町に入る前に…と、歩きながら食べたご家来衆はいなかっただろうか。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。