先日、倉敷市真備地区の復興ボランティアに参加した。民家の二階の屋根に水かさの痕跡が残り、地面には一面に川泥が堆積して道路のアスファルトが見えない。車が通るたびに土煙が上がっており、防塵マスクやゴーグルを装着している人もいる。
それでも、被災された方もボランティア同士も元気に声を掛け合って、被災家屋の内部は片付けが進んでいる。自衛隊は巨大な重機を動かして大量のごみを撤去し、警察は巡回パトロールを行い、水道局は給水車できれいな水を届けていた。
時間はかかるかもしれないが、この地区も必ず復興する。これまでに被災したどの場所もそうであったように。阪神大水害で被災した芦屋がそうであったように。
芦屋市東芦屋町に「『細雪』文学碑」がある。谷崎潤一郎生誕百年を記念して昭和61年に建てられた。題字は谷崎夫人、松子による書である。
『細雪』は谷崎文学の最高峰とも評価される作品で、私にとっては市川崑監督の映画のイメージが強い。絢爛な映像美が柔らかな船場言葉で上品に仕上がり、失われゆく昭和モダニズムが切なく描かれる。
芦屋附近が舞台になっているから、芦屋川沿いのこの場所に文学碑があって違和感はないが、これは単なる文学碑ではない。裏面に刻まれている文章を読んでみよう。
葦屋川や高座川の上流の方で山崩れがあつたらしく、阪急線路の北側の橋のところに押し流されて來た家や、土砂や、岩石や、樹木が後から/\と山のやうに積み重なつてしまつたので、流れが其處で堰き止められて、川の兩岸に氾濫したゝめに、堤防の下の道路は濁流が渦を巻いてゐて、場所に依つては一丈くらゐの深さに達し、二階から救ひを求めてゐる家も澤山あると云ふ。
時は昭和13年(1938)7月5日、台風に刺激された梅雨前線は集中豪雨をもたらし、土石流が芦屋の街を襲った。阪急芦屋川駅附近で土砂が堆積し、川が堰き止められて左右に濁流が広がった。
碑に刻まれた『細雪』の一節は、決して作品を代表する名場面ではない。それでも、碑文にこの一節を選び、この場所に碑を建てたのは、災害の惨禍を後世に伝えようとする思いがあるからだろう。文学碑でありながら、優れた防災記念碑でもあるのだ。
芦屋市伊勢町の谷崎潤一郎記念館前に「山津波の巨石」がある。
重量15トンという巨石は、もと神戸市東灘区岡本の旧谷崎邸にあった。昭和13年の土石流(山津波)で旧邸内に転がり込み、そのまま庭石として置かれていたという。阪神大水害から50年にあたる昭和63年に現在地に移された。
芦屋川駅前から上流方向を見ている。この美しすぎる風景が永遠ではないことを、胆に銘じておかねばならない。阪神大水害から今年でちょうど80年。
繰り返し発生する浸水被害は、我が国の地勢では避け得ないのかもしれない。それでも、災害の一つ一つから私たちは学び続ける。「忘れない」「備える」この言葉を心に留めて。
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