「業平橋(なりひらばし)」は、橋の名前としては珍しい。その由来は、日本史上最強のプレイボーイとして名高い在原業平(ありわらのなりひら)である。
このブログでは、『伊勢物語』屈指の名場面「都鳥」ゆかりの地として、埼玉県春日部市の「業平橋」を紹介したことがある。東京都墨田区にある業平橋のほうが有名だが、兵庫県芦屋市にも業平橋がある。本日は、業平ゆかりの地を求めて芦屋を訪ねよう。
芦屋市松ノ内町の松ノ内緑地に「在原業平歌碑」がある。すぐ近くに大正橋が架かっている。
大正橋から芦屋川を下ると、次の橋が「業平橋」である。橋と歌碑が少し離れている理由は分からない。まずは歌碑に刻まれた歌を鑑賞しよう。
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
在原業平朝臣
桜の美しさを詠んだ古今の絶唱である。業平が詠んだのはヤマザクラなのだが、ソメイヨシノに心躍らせる現代感覚に通じるものがある。このブログの記事「絶えて桜のなかりせば」で紹介したように、歌が詠まれたのは芦屋ではなく枚方である。
それでは芦屋と業平には、どのようなゆかりがあるのだろうか。芦屋文化友の会による説明板を読んでみよう。
業平のゆかり
日本文学史上、歌物語の代表作『伊勢物語』歌に生きた在原業平の華麗な生活とともに、芦屋の里の美しい情景が紹介され、歌名所として著名となった。
業平の別荘がどこにあったか、近世の地誌には芦屋川の左岸、業平町付近に、その位置を示している。業平の父、阿保親王がこの地で亡くなったとの伝えもあり、翠ヶ丘町には阿保親王塚がある。
謡曲『雲林院』の舞台となった芦屋の公光(きんみつ)と業平を祀る祠も月若公園の近くにある。
文学と伝承に彩られた芦屋は、とおく平安のむかしから今日まで、人びとの心に様々な親しみと共感を呼んでいる。
『伊勢物語』第八十七段「蘆屋の里」には、次のような一節がある。
むかし、男、津の国莵原の郡、蘆屋の里に、しるよしして、いきてすみげり。むかしの歌に、
蘆の屋の灘のしほやき暇なみ 黄楊(つげ)の小櫛(おぐし)もささず来にけり
とよみけるは、この里をよみける。
むかし、ある男(業平)が、摂津の菟原郡、芦屋の里に所領があったので、そこに住んでいた。芦屋の浜で塩を焼くのが忙しかったんで、ツゲの櫛をさす間もなかった。こんなのでゴメンね。そう詠まれたのは、この里のことだ。
このことから、業平の別荘が芦屋にあったと考えられている。芦屋と業平のゆかりは、これだけにとどまらない。
芦屋市月若町に「公光・業平の祠」がある。
公光という人物は何者か。『伊勢物語』をリスペクトして作られた『雲林院』という謡曲がある。その冒頭部を読んでみよう。
藤咲く松も紫の、藤咲く松も紫の、雲の林を尋ねん。是は津の国蘆屋の里に、公光(きんみつ)と申す者にて候。我幼(いとけな)かりし頃よりも、伊勢物語を手馴れ候処に、ある夜不思議なる霊夢を蒙(かうむ)りて候程に、只今都に上らばやと存じ候。
シテは在原業平の化身と霊、ワキが公光である。芦屋に住んでいた公光は、小さい頃から『伊勢物語』に慣れ親しんできたコアなファン。夢に導かれて今日の雲林院を尋ね、業平の化身や霊との交感をするというあらすじだ。
『伊勢物語』と芦屋の関係はけっこう深い。市内の地名には「伊勢町」「業平町」「公光町」がある。この地に住む人は誰でも『伊勢物語』を愛読している、なんてことはないだろうが、ゆかりの地に住んでいるという誇りは抱いていることだろう。
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