夕陽が美しいのは,まもなく沈んでしまうからだ。人が精一杯生きるのは,限られた命を大切にするためだ。そして,桜が美しいのは散りゆくがゆえだ。
枚方市渚元町に「渚院址」があり,フェンスで保護されている。
ここで,かの名歌は詠まれたのであった。『伊勢物語』(八十二段)を読もう。
いま狩りする交野(かたの)の渚(なぎさ)の家,その院の桜ことにおもしろし。その木のもとにおりゐて,枝を折りてかざしにさして,上中下みな歌よみけり。馬頭なりける人のよめる,
世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
渚院は,藤原氏と紀氏の政争に巻き込まれ皇太子となれなかった惟喬親王(文徳天皇第一皇子)の別荘である。ここに在原業平らを伴って遊んだ折に先の歌が生まれた。
ここに「河州交野渚院碑」がある。風化が進んでいるが,寛文元年(1661年)にこの地を支配していた永井伊賀守尚庸(なおつね)が桜を植えて復興に尽くしたことが記されている。撰文は林羅山の三男の林鷲峰である。碑文の最後で次のように詠っている。
ああ波瀲(なぎさ)よ 境は王畿に近し
翠華は雲のごとく靡き 白桜は雪のごとく飛ぶ
唫(ぎん)ずれば以て酔が勧み 遊びて帰るを忘る
在昔は盛ん為れど 中葉は式微す
烟は野水を籠み 月は村扉を鎖ざす
遺蹤(いしょう)旧に復すれば 花も亦芳菲す
形あるものは壊れる。しかしながら,貴重な史跡が失われてしまうことに美学はない。史跡を保存してくれた尚庸公に感謝申し上げたい。
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