今上陛下は平成13年の誕生日前の記者会見で「私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています」とお話しになった。今回は,桓武天皇と百済との関係を示す史跡を探してみた。
枚方市中宮西之町の百濟王(くだらおう)神社に「交野行宮址」の石碑がある。この場所を行宮としたのが桓武天皇であった。
663年,百済は唐・新羅の連合軍に敗れ滅亡するが,王族は日本に亡命し「百濟王(くだらのこにきし)」という氏を名乗る。この一族が居住していたのが,ここ河内国交野郡中宮の地であり,そこに祖霊を祀る祠廟と寺を建立したのだ。百濟王を祭神とする百濟王神社の由緒書は次のように説明する。
百濟王第二十五代武寧王の子孫,高野新笠を母に持つ桓武天皇は,「百濟王等は朕の外戚なり」との詔を発せられ,度々交野に行幸された。
神社の東隣には「百済寺跡」があり,広大な史跡公園として整備されている。整備といっても昭和41年のことで,それなりの年月を感じさせる荒れ具合だ。そこが実に史跡らしい。史跡公園としても日本初ということで,文化財保護史上の史跡ともいえよう。
枚方市禁野本町1丁目の集合墓地に「三松(みつまつ)家墓所」がある。
三松家は百済王氏の子孫であるという。そのように称することが,この地では家格を高めるのに有効だったのだろう。百済の血脈は,其処此処で日本を動かしているのかもしれない。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。