聞こえてくる泣き声には、事件性を感じて怖くなるが、動物の鳴き声なら風情さえ感じる。カエルやセミの音を聞けば、今年もこの時季になったか、としみじみとした気持ちになる。
哺乳類の鳴き声は犬や猫なら日常的によく聞いているが、詩情がそそられることはない。むかしの歌人は鹿の鳴き声に心動かされたというが、聞いたことのない私には想像すらできない。
芦屋市東芦屋町の芦屋神社境内に「伝猿丸大夫の墓」がある。鎌倉時代後期(13世紀)の宝塔で、市指定文化財である。
猿丸大夫は三十六歌仙の一人だが、百人一首(5番)が知られる以外は、ほとんど手がかりのない幻の歌人である。まずは歌を鑑賞しよう。
奥山に もみぢ踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき
奥山で鹿を見つけた。紅葉をザッと踏み散らし鳴いて向こうへ行った。「ああ、秋って悲しいもんやね」
秋の寂寥感に満ちた分かりやすい歌である。
「踏み分け」ているのが、鹿ではなく私だという解釈もある。
奥山でザクザクと紅葉を踏み分けながら進むと、鹿の声が聞こえてきた。「秋やわあ。悲しゅうなるねえ」
解釈によって聞こえてくる音が少し異なるようだ。
出典は『古今和歌集』巻第四秋歌上(215)である。
奥山に 紅葉踏みわけ 鳴くしかの 声きく時ぞ 秋はかなしき
よみ人しらず
驚くべきことに、作者不明だという。猿丸大夫の作だとされたのは、どんな事情だろうか。
『猿丸大夫集』という歌集を調べてみよう。
鹿のなくをきゝて
奥山に 紅葉ふみ分け なく鹿の 声きく時ぞ ものはかなしき
詞書があるものの、単なる説明に過ぎない。「秋はかなしき」が「ものはかなしき」となっている。紅葉が秋を示しているから、「物悲しい」のほうが説明的でなく味わい深い。こちらが猿丸大夫の真作なのだろうか。
だが、この『猿丸大夫集』、万葉集と古今集の作者不明の歌を寄せ集めて作られているという。猿丸大夫は実在するのか。
古今集の真名序には、次のように記されている。
大友黒主之歌、古猿丸大夫之次也
大友黒主の歌は、むかしの猿丸大夫の歌風を受け継いでいる。実在したからそう書かれているのか、古今集の時代にはすでに伝説化していたということなのか。
可能性があるのは『続日本紀』巻第四の和銅元年(708)四月廿日条の記述である。
従四位下柿本朝臣佐留卒
佐留(さる)という人が亡くなっている。「さる」さんが、猿丸大夫のモデルなのか。古今集の時期から二百年前の人だから、伝説化していても不思議ではなかろう。
芦屋の旧家に猿丸家があり、猿丸大夫の子孫だということだ。猿丸大夫の墓は各地にあるとも聞く。謎は深まるばかりであるが、百人一首の歌が秀歌であることに疑いはない。
先月23日に、熊谷市で41.1℃の日本史上最高気温を記録した。あまりにも暑くて、秋の寂寥感なんぞ想像すらできないが、紅葉を踏む音に心動かされる季節は必ず巡って来る。鹿の声が聞こえるほど深い山には入らないだろうから、身近な虫の声を楽しみに待つこととしよう。
いろいろ説があるようですね。興味深いです。
投稿情報: 玉山 | 2022/01/06 20:34
猿丸大夫は道鏡の変名のことだと思います
投稿情報: アンコラ | 2022/01/06 17:44