不老不死の秘薬を持つ仙人が住むという島が中国にあるという。その名は蓬莱島(ほうらいじま)。誰も行ったことがないこの伝説の島を、ミニチュアサイズで再現したのが大名庭園である。
大名が贅を尽した庭園は、今や貴重な文化財であり、人々の心を癒す観光資源だ。池を中心に一回りするコースが設定されることが多いが、これを池泉回遊式庭園という。その池の中に築かれているのが蓬莱島である。
兵庫県神崎郡神河町福本に町指定文化財の「福本藩池田家陣屋跡」がある。
日本三名園(兼六園、偕楽園、後楽園)は我が国が誇る大名庭園である。平成29年度に88万7千人の入園者があったという後楽園は、31万5千石の岡山藩池田家の手によって作られた。
同じ池田家でも1万石の福本藩陣屋跡にも大名庭園がある。その閑静な美しさは後楽園に勝るとも劣らない。まずは旧神崎町教育委員会が作成した説明板を読んでみよう。
福本藩池田家の創始は、寛文三年(1663)池田政直から、明治三年(1870)八代徳潤時代の廃藩置県までの206年間にわたり続きました。
この陣屋跡は、神崎郡北部の政治の中心であった所です。
福本藩は小藩であったため陣屋形式で、現在の大歳神社全体が藩邸跡で、社殿のところに藩主御殿がありました。
月見燈篭が浮かぶこの庭園は、元禄年間に描かれた絵図面どおりに現存する庭園として貴重なものです。
庭園の様式は、池泉回遊式庭園とよばれ、池泉の規模や深さなどから考えて、船遊式であり、園池には、蓬莱島を置き武運長久を祈る大名庭園としての特徴があります。
岡山藩初代の池田光政は西国将軍輝政の孫であり、福本藩初代の池田政直も同じく孫にあたる。ただし光政は輝政の長男利隆の子で嫡流だが、政直は四男輝澄の子であった。しかも輝澄は御家騒動を起こして蟄居を命じられたが、母方の祖父が徳川家康という抜群の血筋で1万石だけ残された。
この1万石を福本の地で受け継いだのが政直である。初代政直の後は旗本になったが、8代目徳潤(のります)の時代に大名に復帰した。福本池田家が作った庭園は、元禄年間の絵図にも描かれているというから確かに貴重だ。
池の中に蓬莱島がある。近代的な障害物が何もなく、築造当時を偲ばせる光景である。
藩主御殿は大歳神社の社殿のところにあったという。小さいながらも見ごたえのある庭園だ。回遊式庭園だが歩いて廻るのではなく、池に舟を浮かべて愛でるという贅沢なお庭である。日本三名園もいいが、一隅を照らせば小さいながらも、このような名園があることを知るべきだろう。
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