呑みながらこう考えた。日本酒はどこで生まれたのか。それは偶然の産物だったのか。初めて酔った人はどんな気分だったのか。本日は、日本酒の起源を訪ねる旅に出かけることとしよう。
宍粟(しそう)市一宮(いちのみや)町能倉(よくら)の庭田(にわた)神社に「ぬくゐの泉」がある。
宍粟市には、日本酒による乾杯を奨励するユニークな条例「日本酒発祥の地宍粟市日本酒文化の普及の促進に関する条例」がある。宍粟市は、なんと日本酒発祥の地だという。どういうことか。
根拠は条例の前文に引用されている『播磨国風土記』である。読んでみよう。
庭音(にはと)の村〔本(もと)の名は庭酒(にはき)なり〕。大神の御粮(みかれひ)、枯(か)れて、かび生えき。すなはち酒を醸(かも)さしめて、庭酒に献(たてまつ)りて、宴(うたげ)しき。故(かれ)、庭酒の村といひき。今の人は庭音の村といふ。
庭音村〔もとの名は庭酒〕。神様にお供えしたお米にカビが生えてしまった。だがそれは麹だったので、酒を造ってまた神様にお供えし、宴会を開いた。それゆえ、ここを庭酒村と言った。今の人は庭音村と言う。
これが「米・麹・水を用いた酒造りの製法として現在の日本酒に通ずる最古の記述」だというのだ。なるほど、『風土記』が編纂されたのが奈良時代初期だから、その頃には酒造法が確立していたのだろう。酒造りにおいて最古の記録である。
調べてみると、日本酒発祥の地はいくつも見つかる。
出雲市小境町(こざかいちょう)の佐香(さか)神社は「日本酒発祥の地」と呼ばれている。「さか」は「酒」に通じ、鳥居には「酒造大祖佐香神社」と刻まれている。
西都市妻(つま)の都萬(つま)神社に「日本清酒発祥の地」と記された標柱がある。御祭神の木花開耶姫命がこの地で、天甜酒(あまのたむさけ)という最初の酒を造ったという伝承がある。
奈良市菩提山町(ぼだいせんちょう)の正暦(しょうりゃく)寺に「日本清酒発祥之地」と刻まれた石碑がある。それまでの濁り酒が今のような澄んだ酒になったのは、この寺の高度な醸造技術のおかげだそうだ。室町時代(一四〇〇年代初頭)のことという。
伊丹市鴻池(こうのいけ)に「清酒発祥の地」のモニュメントがある。豪商鴻池家の祖が、近世初頭に清酒を大量に醸造する技術を開発したのだという。
酒の語源か、神話か、それとも製法の記録か。清酒の源流を、どの時点での技術革新に位置付けるのか。清酒は後二者でよいが、濁り酒を含めた日本酒の発祥を前三者のいずれとするか。
言い伝えがあるのみで決め手に欠ける。ただ確かなのは、どこの人もみなお酒が大好きなことである。日本酒発祥地サミットとかを開催して、呑みながら議論すると大いに盛り上がるだろう。
平成31年1月22日追記
播磨の酒蔵7社が『風土記』成立1300年を記念して、庭田神社で採取した酵母と麹を使って古代の酒を再現し、「庭酒」の名で売り出していた。この記事を書く際に情報はつかんだものの、手に入りそうになくあきらめていた。ところが先日、イオン山崎店において田中酒造場の「庭酒」を入手したので、ここに紹介しておく。甘酸っぱくて美味。
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